最近物欲が激しく覇気がでてきたAyAと申します
昨日は女子高時代のお友達とお食事にいきました
楽しかったー
楽しかったけどイロイロ考えさせられたことがあるので、次回書きますね。
さて、今日は人生について。
ある方のblogを読んで感化されたので書きます。
************************************
あたしは、中学を卒業して近所でもまあまあ?普通?な女子高に入った。
そこで、嫌いな体育女教師が説教の中でこう言った。
「どうせあんたたちは、周りが高校行くから自分も流されて来たんでしょ。」
あたしは中学生から大学にいきたいと思っていた。
大学に行くためには仕方ないと思って高校に入った。
この発言は心外だったし、所詮ここのレベルではこんなもんかと思った。
よりによって大学受験のとき、恋愛で精神的なショックを受けてしまった。
母親ががんになり闘病生活がはじまった。
受験は失敗し、すべりどめの大学へ仕方なく進学した。
純粋すぎた自分が悪いし、偏差値の届かなかった自分も悪い。
ただそれだけだった。
「大学へ行くときは家を出るとき。」
自分も親も暗黙のうちにわかっていた。
私が家を出る朝、姉妹のように仲良くしていた母親は涙を流していた。
大学に通いながらひとり暮らしをはじめたあたしは、1年次はかなり真面目に勉強した。
2年になって夜遊びを覚え、歌舞伎町を出入りするようになる。
ホストにはまっていたが、次第に歌舞伎町を都市社会学的に視て研究する。
自分の希望する研究室に入り、自分の希望する研究テーマに賛同してくれる教授と出会った。
本気で研究がしたいと思い、あたしは歌舞伎町の夜の世界にひとり飛び込んだ。
あたしが歌舞伎町で遊び、水商売までしたことを、親はきっと悲しむだろう。
だから、今でも話していない。
けど、あたしが好きでやったこと。貴重な経験。
そこでのたったひとつの出会いは宝物だった。
55000字以上の卒業論文を書いて、大学を卒業した。
卒業と同時に、夜の世界からも足を洗った。
あたしには大学時代に借りた奨学金があった。
ひとり暮らしができて、借金が返せればいい。
正社員にならなくてもいいと思っていた。
でも、そこで親は黙っていなかった。
「ネットカフェ難民になるかもしれない」
「どんな仕事でもいいから絶対に正社員になれ」
いきたい会社なんてなかった。
就職難で精神的につらいときに、毎日電話でこういわれた。
本当につらかった。
今だから言えるけど、
殺してしまいたいと思ったり、勘当してほしいと土下座しかけたこともあった。
数多く受けた会社のなかで、唯一内定のきたブラック会社に入った。
新入社員の半分が3ヶ月ともたずやめていった。
あたしもそのひとりだった。
まるでやくざのような上司。毎日響く罵声。宗教のような理念。
深夜に及ぶサービス残業。休めない休日。サービス出勤。
馬鹿みたいだった。
けど、そこでの出会いは一生の宝物。
躊躇なく突如無職になり、1週間で次の職場が決まった。
近所の小さなクリニック。
仕事は地味ながらもハードだった。
実家の母親がまた新たながんになった。
心労が重なり、うつ病になってしまった。
やめるつもりで休職した。
休職のあいだ、将来のことを考えた。
先が見えなくて不安だった。
不安なまま休職期間は満了し、あたしはまた無職になった。
それでも、体調がよくなって就活し、今の会社に決まった。
退職して1ヵ月後のことだった。
今は小さい商社の事務として働いてます。
今までで一番続けられそうな仕事だと思ってる。
将来経理を任されるらしく、簿記とか貿易の勉強をはじめました。
体調は落ち着いてる。けど通院してる。薬も結構飲んでます。
あたしの病気は、一般的にはたぶんあまり理解されない病気。
友達には話してないし、ここを知ってる子しか知りえないけど、
病気のことを書いてから疎遠になった子もいる。
母親は、まだ闘病中。
よくなってるとはいえない。
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長くなったのでわけます

昨日は女子高時代のお友達とお食事にいきました

楽しかったー

楽しかったけどイロイロ考えさせられたことがあるので、次回書きますね。
さて、今日は人生について。
ある方のblogを読んで感化されたので書きます。
************************************
あたしは、中学を卒業して近所でもまあまあ?普通?な女子高に入った。
そこで、嫌いな体育女教師が説教の中でこう言った。
「どうせあんたたちは、周りが高校行くから自分も流されて来たんでしょ。」
あたしは中学生から大学にいきたいと思っていた。
大学に行くためには仕方ないと思って高校に入った。
この発言は心外だったし、所詮ここのレベルではこんなもんかと思った。
よりによって大学受験のとき、恋愛で精神的なショックを受けてしまった。
母親ががんになり闘病生活がはじまった。
受験は失敗し、すべりどめの大学へ仕方なく進学した。
純粋すぎた自分が悪いし、偏差値の届かなかった自分も悪い。
ただそれだけだった。
「大学へ行くときは家を出るとき。」
自分も親も暗黙のうちにわかっていた。
私が家を出る朝、姉妹のように仲良くしていた母親は涙を流していた。
大学に通いながらひとり暮らしをはじめたあたしは、1年次はかなり真面目に勉強した。
2年になって夜遊びを覚え、歌舞伎町を出入りするようになる。
ホストにはまっていたが、次第に歌舞伎町を都市社会学的に視て研究する。
自分の希望する研究室に入り、自分の希望する研究テーマに賛同してくれる教授と出会った。
本気で研究がしたいと思い、あたしは歌舞伎町の夜の世界にひとり飛び込んだ。
あたしが歌舞伎町で遊び、水商売までしたことを、親はきっと悲しむだろう。
だから、今でも話していない。
けど、あたしが好きでやったこと。貴重な経験。
そこでのたったひとつの出会いは宝物だった。
55000字以上の卒業論文を書いて、大学を卒業した。
卒業と同時に、夜の世界からも足を洗った。
あたしには大学時代に借りた奨学金があった。
ひとり暮らしができて、借金が返せればいい。
正社員にならなくてもいいと思っていた。
でも、そこで親は黙っていなかった。
「ネットカフェ難民になるかもしれない」
「どんな仕事でもいいから絶対に正社員になれ」
いきたい会社なんてなかった。
就職難で精神的につらいときに、毎日電話でこういわれた。
本当につらかった。
今だから言えるけど、
殺してしまいたいと思ったり、勘当してほしいと土下座しかけたこともあった。
数多く受けた会社のなかで、唯一内定のきたブラック会社に入った。
新入社員の半分が3ヶ月ともたずやめていった。
あたしもそのひとりだった。
まるでやくざのような上司。毎日響く罵声。宗教のような理念。
深夜に及ぶサービス残業。休めない休日。サービス出勤。
馬鹿みたいだった。
けど、そこでの出会いは一生の宝物。
躊躇なく突如無職になり、1週間で次の職場が決まった。
近所の小さなクリニック。
仕事は地味ながらもハードだった。
実家の母親がまた新たながんになった。
心労が重なり、うつ病になってしまった。
やめるつもりで休職した。
休職のあいだ、将来のことを考えた。
先が見えなくて不安だった。
不安なまま休職期間は満了し、あたしはまた無職になった。
それでも、体調がよくなって就活し、今の会社に決まった。
退職して1ヵ月後のことだった。
今は小さい商社の事務として働いてます。
今までで一番続けられそうな仕事だと思ってる。
将来経理を任されるらしく、簿記とか貿易の勉強をはじめました。
体調は落ち着いてる。けど通院してる。薬も結構飲んでます。
あたしの病気は、一般的にはたぶんあまり理解されない病気。
友達には話してないし、ここを知ってる子しか知りえないけど、
病気のことを書いてから疎遠になった子もいる。
母親は、まだ闘病中。
よくなってるとはいえない。
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長くなったのでわけます
