皆様御機嫌麗しゅう

突然ですが…
あたしは、
人は生きたければ生きればいいし、生きたくなかったら無理に生きなくてもいいと思っています。
生きたいのに生きられない人と、生きたくないのに生かされている人は
同じくらいつらくて苦しい思いをしているはずだと思っています。
この世に生きている人はみんな、誰のものでもない個人にすぎないと思います。
例えば結婚したからといって1人の人間が完全に誰かのものになれるわけじゃないし、
自分が産んだ子供だからって完全に自分のものではないし、
自分を産んでくれた人とはいえ誰のものでもないと思います。
そして、誰のものでもない人々は各々の生き方をして然るべきだと思います。
自分の人生を自由に生きる特権を持っています。
したがって、自分の人生を終わらせる権利もあるということです。
人が本気で自分で自分の人生を終わらせようとするとき、
家族や友人や恋人のことは考えられなくなると思います。
彼らのことが脳裏をよぎって、それを思い留まる人は少なくないでしょう。
あるとき、このお話をお母さまにしてみました。
すると、
「人はそんなに簡単じゃない。
誰かの為に生きなきゃいけないってこともあるのよ。
もしまだ生きられるなら、ママはもうすこし生きてたいって思う。」
と彼女はいいました。
彼女は数年前にある病気を患いました。
あたしが高3のときでした。
手術も治療もしました。
手術の時は全身麻酔だったので、オペ直後の彼女は血の気が全くありませんでした。
まるで生きていない人のようでした。
とても強い薬で治療したので、髪の毛はなくなりました。
ほんとうになくなりました。
あ、今は全然大丈夫です。
カラーもパーマもしてヘアスタイルを楽しんでいます。
あたしは、
オペ後の医師の説明も病気の事も、なんにも教えてもらえませんでした。
子供に知らせるべきじゃないと思ったのか、大学受験に支障があると懸念したのかわかりませんが、なんていわれてもびっくりしないから、お願いだから言ってと頼んでも、未だになんにも言ってくれません。
そのときあたしは彼女の死を覚悟しました。
そのほうが本当に彼女の死に直面した時の衝撃が軽減されるだろうという実に単純な考えからでした。
結局覚悟はきめられませんでした。
この世に生を受けてから17年間、いつも一緒にいることが当たり前になっていた人の死を覚悟するなんて、
当時のあたしにはいくら時間があっても不可能なことでした。
それは現在でもできません。
あたしには出来なかったけど、彼女は覚悟をきめていたのかもしれません。
誰かの為に生きなくちゃいけないなんて、今の自分には理解できません。
でも、誰かの親になったとき、彼女の言った本当の意味が解かるような気がいたします。