皆様ごきげん麗しゅう
ちょっと試験が終わったくらいでつい余裕が出てきてしまいました。
集中できないなと思ったら迷わずテレビつけて「白い巨塔」観たり、
お昼寝したり、サザン聴いたり、avril聴いたり、
あれよあれよという間にもうごはん作らなきゃ、っていう時間になって白菜切ったり。。
余裕なんて全然ないのに
そして時間も無い。。。
時間が無いなんてきっと効率のよい時間の使い方をしていないのでしょう。
しゅん。
それにしても、人間は本当に儚いものですね。
先日大学の教授が癌で亡くなりました。
私はお名前を聞いたことしかありませんでしたが。
私は3年前、かかりつけの医師を癌で亡くしました。
その人はお母様が勤務していた病院で一緒に働いていた方なのですが、私が幼少の頃からずっと体調を崩すと必ずその先生に診て貰っていました。
私が肺炎になって入院したときも、早く自宅療養できるように取り計らってくれたのも彼でした。
とにかく小さいときから診てきたし同僚の看護師の娘ということもあったのでしょう、いつでも優しく「近所のおじちゃん」みたいな感覚で私は接していました。
さだまさしに似ていてかなりひょうきんなところのある人柄で、医師としても非常に信頼の置ける人でした。
高校に入学したときにはもう先生は病院を離れてしまったので、最後に会った時のことは記憶していません。
それからしばらくして、先生が癌センター(大規模な病院)にいることがわかりました。
その時はすでに手の施しようが無いとお母様から聞かされました。
先生が亡くなったのはそれからすぐのことです。
もともとそれほど体格のいい方ではありませんでしたが、体重はわずか48キロしかなかったそうです。
それから、お母様の伯母も癌で亡くなりました。
私にとっては何に当たるのかよくわかりませんが、
「おじいちゃんの弟の奥様」
に当たります。
彼女に会う機会は本当に少なかったのですが、子供がなかったせいでもありましょう。
会うときはいつでも優しくしてくれました。名前に「おばちゃん」をつけて呼んでいました。
後で聞いた話では、彼女は大変なお嬢様だったらしくとても品のいい人でした。
身のこなしや上品な話し方などはそのためだったんだ、と気づいたのは彼女が亡くなってからでした。
子供の私には詳しいことはなんにも知らされませんでしたが、一度は回復したものの、再度体調が悪くなったようでした。
彼女を最後に見たのは病床に就いているときでした。
それまで記憶していた彼女の姿とは似ても似つかないほどガリガリに痩せて、私に手を振っていたのを憶えています。
それから、お母様のお友達も2人癌で亡くなりました。
いずれもほぼ同い年で、まだ40代でした。
そして今、従姉妹の祖母も癌です。
お母様も癌です。
よくよく考えてみると、周りにこれだけ癌患者が多いことに驚きました。
いずれも今は手術を終えて元気そうに生活していますが、いつどうなるかは誰にもわかりません。
何しろ子供の私には何の情報も与えてくれないのでまったくわからないのです。
癌は遺伝する可能性のあるものですから、もちろん私も例外ではありません。
日本人の死亡原因の第一位でもあるのだから当然かもしれませんが・・・
でも癌は今治る病です。
絶対に治らないと言われた人が驚異的な回復を見せたり、薬によって治療することも可能だそうです。
発症せずに一生を終える人もいるそうです。
いずれにしても人間はいつか絶対に死ぬ生き物です。
人間は死ぬために生きているのだとある僧侶から聞いたこともあります。
現在この世でこうして時間に追われせかせか生きるよりも、「あの世」に逝ったほうがのびのびと幸福に過ごせると江原啓之氏が語っていました。この世に生きるもの全員がいずれあの世に逝くのだから、それが早いか遅いかと言うことだけで「死」を悲しむべきでないとも言っていました。
私は死に瀕するような経験をしたことがありませんが、いつ死んでも後悔しないよう生きているつもりです。
死ぬことは怖くありませんが、不安や恐怖や苦痛を伴って死ぬことだけを恐れています。
やばい!!また暗くなっちゃった!!
まだ私は病んでないので。念のため。