皆様ごきげんよう。
明日から試験の始まりでございます。
これさえなければ日本の大学は本当のテーマパークになれるはずなのに・・・
まぁ本当になっちゃ困るけど。
普段勉強してないんだからこんな時くらい真面目に臨む所存にございます。
とりあえず明日が無事に済めばあとは多分何とか成るはず。。
あのぅ、チャイ語の皆様。
何にも掲示出ておりませんよね?やっぱり明日は試験ですよね?
とかいって補講だったりしないですよね??
それにしてもあんなに好い加減な先生は初めてですね。
あと、文章をお褒めくださる方々。
御世辞でも本音でも本当に嬉しゅうございます。
以前から私は文章を書くことが好きで、思いついたときに思ったことを好きなだけ書く事が良くありました。
それは宮沢賢治みたいな神秘的なものでも一流の小説家のようなものではなくて、内容は「死について」とか、「こんな人は許せない!」とか、「愛について」とか、今になって思えば極めて幼稚で単純なものでした。徒然なるままに書いたので当然のことかもしれませんが。
小説のようなものを書こうとしたこともありました。
でも、単純で実につまらない他人の模倣にしかすぎませんでした。
私はすぐにそれを辞めました。
私は文章を書くことが好きでも、事実しか書けないのです。
それと、私は今まで文章を褒められたことがありませんでした。
もっと言うと落ち度を責められてばかりいました。
私は高校を卒業するとき、「合格体験記」なるものの執筆依頼を受けました。
それは大したことを書くわけではないのですが、使っていた参考書や勉強の仕方などの他に、「受験を終えた今思うこと」や「受験に必要な偏差値以外のもの」について、自分の言葉で現せることに違いありませんでした。しかも私の書いたものは多数の後輩の目に映ることになるのです。
ここで断っておきますが、私よりも偏差値の高い大学に合格した人は沢山居ました。普段の成績も私より上位の人はもっといました。
どうして私が選ばれたのかなと不思議に思いながらも、受けたからには納得のいくものを書こうとあれこれ考えて書くうちに一週間が経過していました。
恥をかかないように、わかりやすいように、こっちの表現のほうがいいかな、などなど。
一応完成したものを提出する前に、尊敬していたある人に眼を通してもらいました。
それと、あるとき自分でも飛び上がるようないい文章が書けたと思ったとき、それを見てもらったこともありました。
するとその人は、
「自分の高校のときの文章に酷似している。」
「意味の解からない強調の部分がある。」
とだけ言いました。
それ以来キマグレにものを書くことを辞めました。
しばらくしてこのブログを始めましたが、私はここの存在をその人に黙ってはいられませんでした。
それでも今ここで自らの世界を展開しているのは、現在はその人との関わりの一切を絶ったためです。
やばい!!なんかまた暗くなっちゃった?!
全然病んでないので。念のため。
それではごきげんよう