人が涙する心理は?
私が小学生の頃、桂小金治さんの『それは秘密です!!』を観て
いつも泣く母を見て、不思議に思っていました。
ですが、私も昨日『少年H』を観てずっと泣いていました。
一緒に観ている妻は全然でしたが、隣のご婦人はハンカチが離せない状態でした。
よく歳を取ると涙腺が緩むと言いますが、本当なのでしょうか?
ググってみたところ、こんな事を書いておられる方がいまして
大変興味深いと思いましたので、一部をご紹介します。
第一段階:情動行動「自分のために泣く」
第二段階:理性行動「自分のために我慢する」
第三段階:菩薩行動「人様のために涙を流す」
「涙もろい」ということは「情にもろい」ということですよね。
では、仮に老化でもなく病気でもないとするならば、お年寄りというのは、
いったいどうやってそのような菩薩様みたいな情動反応を獲得することができるのでしょうか。
これまでにご説明してまいりました脳の構造から、
我々人間の成長に伴う情動反応の変化といいますのは、
以下の三つの段階に分けられるのではないかと思います。
子供の頃、小さいうちは良く泣きます。
これは、子供の内は大脳皮質がまだ未完成であり、
学習経験もほとんど積んでいませんので、
理性行動よりも情動行動の比率の方がどうしても高くなってしまうからです。
多くの場合、それはほぼ自分の欲求に従った情動反応ですので、
これを涙もろいとか、情にもろいとは余り言いませんよね。
やがて成長しますと、我々はそんなことでは泣かなくなります。
これが第二段階です。
そして、更に年齢を重ねますと、何故か今度は涙もろくなるというわけです。
これを整理致しますと、
第一段階:情動行動「自分のために泣く」
第二段階:理性行動「自分のために我慢する」
第三段階:菩薩行動「人様のために涙を流す」
ちょっと作り過ぎてますけど、こんなところではないかと思います。
では、どうして脳の老化に伴って他人の苦しみというものに
反応することができるようになってしまうのかということになりますと、
これではどうやっても説明が付けられませんよね。
何故、お年寄りが他人の苦しみを理解することができるのかと言いますならば、それが学習行動であり、
自分の長い人生の中に何かしら同様のことを体験しているからとしか理由が考えられません。
何故かと申しますならば、先にご説明致しました通り、
それは大脳皮質の中に知識として獲得されるものではなく、
大脳辺縁系内に知らず知らずの内に蓄えられてゆくものであるからです。
ですから、このようにしてより多くの体験が獲得され、
次々と積み重ねられてゆくならば、それは必然的に幅の広い大きな価値観となりますので、
他人の出来事に対しても自分のことのように涙を流すといった、
大変ふくよかで繊細な情動反応が無意識のうちに難なく選択されるようになってしまうというわけです。
申し上げるまでもなく、大脳辺縁系内にこのような価値観を獲得するというのは、
これはたいへん時間の掛かることです。
第二段階でまだ自分のことに精一杯の我々には、
おいそれと真似のできることではありませんよね。ですから、第三段階に辿り着いて涙もろい、
あるいは情にもろいなどと言われるようになるのは、
やはり誰しもがある程度の年齢を重ねてからということになるのではないでしょうか。
因みに仏教で「菩薩行」といいますのは
、既に悟りを開いて如来となる資格を持っているにも拘わらず現世に留まり、
全ての人々を幸福に導くために永遠の修行を行うことだそうです。
お年寄りが涙もろいのは、
それは長年の人生修養が大脳辺縁系の情動反応にたっぷりと反映されているからではないかと思います。