うちの親父はもう長い事お茶の配達業をしている。
県内を1日中飛び回り、甲府市内はもちろん、中心から外れたいわゆる僻地(へきち)のスーパーなどにお茶を配達するのです。
俺は小学生の頃、よく助手席に乗ってお得意さんへの配達について行った。
僻地のスーパーなどで俺はアイドル。
「息子さんけ~?」「かわいいね~。」「なんでも好きなもの持って行きな~。」
どのスーパーへ行っても両手に持ちきれない程のお菓子をくれる。でも人見知りだった俺はありがとうもろくに言えなかったんじゃないかな。
あの優しい声、優しい笑い顔、今でもよく覚えています。
「またおいで~」と車が見えなくなるまで手をふって見送ってくれた。
子供心に思った、田舎の人って何でこんなに優しいんだろう。
2014年2月14日、山梨県内で観測史上最も多い雪が降りました。
交通機関は完全に麻痺、至る所で車が立ち往生し車内に人が閉じ込められ、俺自身も甲府でのライブを終え、帰宅途中に冗談抜きで遭難しかけました。生まれて初めてかも知れません、【死】と言う言葉が頭をよぎったのは。
やっとの思いで家に着き、とにかくテレビ、SNSなどをあさりました、しかし、あまりの情報、報道の少なさに皆同様俺も戸惑いました。
一夜明け、そこには生まれて初めての光景。
とにかく雪掻き、まずは自分のライフラインを確保せねばと必死でした。
甲府でこれだけの雪と言う事は、山間部の地域、高齢者の多い集落、ここより比べ物にならない程の豪雪だろう、これは大変だ。そう思ったのは雪掻きもだいぶ進んだ15日の夜でした。
頭をよぎります。
小学生の頃、僻地の優しい人々、いつもにこにこ笑いかけてくれたやさしいおじいちゃんおばあちゃん。
今も暖をとれず、毛布にくるまって夜が明けるのをただ待っている。
薬が必要な人も居るだろう、
悔しい、何も出来ない、悔しい。
ストーブにあたり、暖かいご飯を食べ、暖かいお風呂に入り、暖かい布団で眠る。
そんな当たり前の事をしている自分に苛立ちました。
一刻も早く助けたい。
おじいちゃんおばあちゃん達を一刻も早く。
そんな中、命の危機と直面している人々を助けようと、県内、そして県外の様々な方々が必死に情報を拡散してくれている光景を目にし、涙をグッとこらえました。
俺も、どうか様々な人の目に留まってくれ!そう願いながらTwitterなどで呼びかけました。
励ましの声や支援の声を沢山頂きました。心強かったです。
16日、スーパーやガソリンスタンドはもはやパニック状態でした。県民の皆さんのストレスも増すばかりだったと思います。
しかし翌17日、中央道が復旧した事で、完全に途絶えていた物流に希望の光が見えました。
孤立地域へヘリで物資投下、病人救出など少しずつ胸を撫で下ろせる場面も増えてきました。
寝る間を惜しんで除雪にあたってくれた方々、他県から除雪の応援に来てくれた方々、本当に感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。
21日現在、未だに孤立した地域が多くあります。
そして日増しにあらわになってくる被害状況。
今回の雪害に対して様々な機関の対応の遅れや、発言などが問いただされていますが、そんな事より、今も戦っている人が居ると言う事。
1人残らず無事に救出される日まで終わらない。
そして、この先の生活不安に押しつぶされそうな方々、農家をはじめ、畜産業の方々も途方に暮れています。
どうか県民の皆さん、
雪掻きを地域の皆と助け合いながら行った事を、炊き出しや食料を分け合った事を思い出し、手と手を取り合って、助け合ってこの甲斐の国山梨を、フルーツ王国山梨を一緒に立て直しましょう。
2014.2.21
QWAI 大久保