自分の中にもやもやがあったり、混乱があったり、迷ったりして、少し行き詰っているなあと感じるとき、以前はよく、映画やドラマ、小説など、まったく別の文脈に一時的に逃避することをよくしていました。まったく別の文脈を、架空にでも体験してから現実に戻ってくると、あらたな気持ちでその前に自分がいた地点を見ることができるという理由からだと思います。果たしてそれは、本当に効果があるのか、前進なのか逃避なのか、いまだにわかりません。一時的に混沌と向き合う不安や恐怖から逃げているだけのような気がしなくもありません。
ただ最近は、自分のその混沌の文脈の中に留まるということを、意識的にも無意識的にもしています。そうすると他のことがおろそかになりますが、混沌から逃げずにじっと注意を向け続け、耳を澄まし続けます。たくさんのノイズや濁った流れみたいなものの中にある、一つの澄んだ水滴のようなものを見つけることができたら、同じ文脈での混沌にはもう入らないのではないかという希望を持ちながら。
ということをぐっと留まって考え続けることも、必要な気がしていますが、結構不健康です(笑)
自然につつまれながら、頭と心の中を、すーっと風通ししてあげるといいのかもしれませんね。
この夏は河口湖近くのコテージで、湖や富士山を眺めながら、静かにそんな時間を持ちたいと思います。
ただ最近は、自分のその混沌の文脈の中に留まるということを、意識的にも無意識的にもしています。そうすると他のことがおろそかになりますが、混沌から逃げずにじっと注意を向け続け、耳を澄まし続けます。たくさんのノイズや濁った流れみたいなものの中にある、一つの澄んだ水滴のようなものを見つけることができたら、同じ文脈での混沌にはもう入らないのではないかという希望を持ちながら。
ということをぐっと留まって考え続けることも、必要な気がしていますが、結構不健康です(笑)
自然につつまれながら、頭と心の中を、すーっと風通ししてあげるといいのかもしれませんね。
この夏は河口湖近くのコテージで、湖や富士山を眺めながら、静かにそんな時間を持ちたいと思います。