「ここは天国じゃないんだかと言って地獄でもない」

The Blue Heartsみたいな台詞をよく叔父は7歳の頃の僕に向かって言っていた。

僕はそれを聞いて歌の一部を取り出して自分が考えたことにいうのなんてとても歌を作った人に対して失礼な気がしていたけれども、あまり親しくなかった叔父があまりにも自信満々に言うものだから、なんとなくの愛想笑いを浮かべていた。

今にして思うのは人生はイーブンではないと言うことだ。

与えるよりも多くのものを与えられる人もいれば、与えるよりも非常に少ないものしか与えられない人もいる。全宇宙のエントロピーのように全ての総量は決まっていて、各人の割り当て量は決まっているみたいだ。おそらく叔父は自分の人生をイーブンのように感じていたのだろう。そういう人でなければ、たった7歳の子供に人生の全てを明らかにしてしまう可能性のあるような台詞(それが本当か嘘かはどうでもいい)は言えないと思う。

僕がThe Blue Heartsに再び出会ったのは、大学生の頃だったと思う。再びこの台詞を聞いた時、僕は人生の底のような状態にいて、僕に残されたものは何もないような状態だった。友達も恋人も親も兄弟も全てが加速する宇宙のように光速を超える速さで遠ざかり、僕の生きている正解は当時始まったAIのような0と1の世界の混沌とした闇の中にいるようだった。

僕は何故もらう量が少ないのだろう。

僕は何を与えすぎたのだろう。

当時の僕はこのようなことを考えるとよく発作を起こした。地球が僕という存在を地軸にして回転を起こし、周りの景色が途轍もない速さで回っていく。僕の呼吸は浅くなり体温が上昇するのを感じる。日吉の駅を行き交う人々が全て、鏡ばりの銀のたまに張り付いていき、僕はそこに引き寄せられるように地面に倒れ込んでします。僕は僕の顔にひんやりとしたコンクリートの感触を感じるまで起き上がることができない。

何分自分が倒れ込んでいるのかも大体はわからなかったが、助けようとしてくれる人は稀で、大体の人々は倒れ込む僕の周りを足速に通り過ぎていく。おそらく僕のことをよくある酔っ払いの大学生か何かだと思っていたのかもしれない。

そう言う時僕は悲しくなる。社会的に世間や最近の若者が冷たくなって困っている人を助けなかったからと言うことを嘆いているのではなく、僕は自分が自分であることがとても悲しかった。僕が僕でなければもっと沢山のものが与えられていたのではあるまいかと。年を取るにつれて僕の発作を起こす回数は劇的に少なくなっていった。

ただ、僕が30歳になった時僕はその頃よりも強く思うようになった。

「ここは天国じゃないんだかと言って地獄でもない」

僕はどこに行けばいいのだろうか。