グアヤサミン
エクアドル出身で、ラテンアメリカを代表する画家に、グアヤサミン(Oswaldo Guayasamín)という人がいる。ホテルや街角のポスターで、土産物屋のハガキ
で、彼の絵はなんども見ていたし、それで知ったつもりになっていた。
母親が子どもを抱いた絵。一番目にするのはこの絵だったし、たぶん、それが彼の代表作の一つであり、最も評価されている作品のひとつなんだろう
でも、ぼくはこの絵にあまり惹かれなかった。なんだか暗くて、ピカソのまねごとのようで。だから彼のほかの作品にも興味を持ってなかった
つい先日、大学の授業でグアヤサミンの美術館(Museo Fundación Guayasamín)を訪れるまでは。
実際、彼はよくピカソの作品との類似性を指摘されている
彼もピカソの影響を否定はしていないとも聞く
ちょっと抽象的で、デフォルメした画風
でも、彼もピカソも、それだけではない
こんな言い方をしたら、なめとんのか、と言わるだろうけど
ちゃんとした絵もかけるのだ
なんで人は絵を描くんだろうと、むかし、不思議だった
見たままを書くなら写真でいいじゃないかと
実際、小学校の絵画コンクールでいつも金賞をとるのは風景をそのまま写実的に描ける子だったし、だからこそ、そうでないといけないような気がして、木の枝 とかがある細かい風景を描くのは面倒くさくて嫌いだった。そんなころに美術の教科書で見たピカソの絵なんて、子どもでもかける落書きみたいなもんじゃない かさえと思っていた
グアヤサミンの作品の中で一番印象に残ったのは
人の顔を描いた作品だった
モノクロの顔に光る、ナチスの幹部、アイヒマンの薄ら青い目
非難されるべき人たち(los culupable)と題された男達の顔
それが誰なのかは知らないけど、醜くゆがんだほお骨や禿げたオッサンの眼鏡の奥から死んだようにいやらしくみつめる緑色の目玉 など、その絵は、描かれた人物の内面を強烈に印象づけていた
グアヤサミンの目には、彼らの顔が、こういうふうに見えているんだな
そう感じた。
絵を描くという作業自体は出力作業だけど、それ以前に、目の前にある風景や人物を深く見つめる、その入力過程がなにより大事なんだと気付く。深く見つめ、 その目に映るモノをそれぞれの感性や知識で自分なりに消化し、それを技術や情熱と感性を持ってキャンパスに表現することが、”絵を描く”ということなんだ ろう。それは時に一方的な思い込みに基づくものであったりもするかもしれんけど、その切り取り方で、その風景や人、モノの本質を見せられたようでハッとさ せられることがしばしばある
グアヤサミンの作品からはそんな驚きをたくさん感じた
彼は、南米の多くの国々が独裁政権の恐怖政治のもとにあった70年代、80年代を生きた画家だ。彼の画風が変わったのもそのころと言われていて、それは彼 のキャリアの中で”激怒の時代”(etapa de ira)と呼ばれている。彼はこの時期以降に、有名な作品を数多く残している。だからこそ、恐ろしさやいやらしさ、苦しさや暗さを感じさせる作品が多い。 でも、中には、繊細さや可憐さを感じさせる少女の絵や、一見するとすごく単純なスケッチなのにキトの街のうら寂しさや、素朴さを印象的に適格に表現してい る作品もある。中にはやっぱりなんだかわざとらしいように感じて好きになれないものもある。でもやっぱり、彼の作品はすごかった
ぼくは日々の風景に何を見とるんだろか
絵を描く人たちが見つめているモノの内面や本質などに気付かず
見過ごしていることばかりのような気がして
たまには絵でも描いてみるか、そんな気になった
ちなみに、ピカソに関しては、5年ほど前にスペインのマドリッドで彼の代表的作品”ゲルニカ”を見て以来すごいと思うようになった。中学生のころは、幾何 学のようにしか見えなかったその作品は、実物を前にしたら、気付くと1時間くらい立ちつくしてその絵を眺めていた。彼は、スペイン内戦の過程で起きたゲル ニカ空爆で民衆が被った苦しみや悲しみを、いかに描くか、どんなふうに表現したら伝わるか試行錯誤を繰り返し、あの作品に行き着いた。その過程が、ソフィ ア王妃美術館(Museo Reina Sofia)では、彼の下絵の過程を通じて見ることができる(常設かどうかはわからないけど)。彼の絵は、絵を描くということは、こういうことなんだ、と 初めて気付いたのは、あの時だったように思う
<メモ>
Museo Fundación Guayasamín
Jose Bosmediano 543 y Jose Carbo, Quito, Ecuador
タクシーの運転手に聞いたらたいていわかるはず。museo de guyasamin っていうのも近くにあったはずなので、混同に注意。
母親が子どもを抱いた絵。一番目にするのはこの絵だったし、たぶん、それが彼の代表作の一つであり、最も評価されている作品のひとつなんだろう
でも、ぼくはこの絵にあまり惹かれなかった。なんだか暗くて、ピカソのまねごとのようで。だから彼のほかの作品にも興味を持ってなかった
つい先日、大学の授業でグアヤサミンの美術館(Museo Fundación Guayasamín)を訪れるまでは。
実際、彼はよくピカソの作品との類似性を指摘されている
彼もピカソの影響を否定はしていないとも聞く
ちょっと抽象的で、デフォルメした画風
でも、彼もピカソも、それだけではない
こんな言い方をしたら、なめとんのか、と言わるだろうけど
ちゃんとした絵もかけるのだ
なんで人は絵を描くんだろうと、むかし、不思議だった
見たままを書くなら写真でいいじゃないかと
実際、小学校の絵画コンクールでいつも金賞をとるのは風景をそのまま写実的に描ける子だったし、だからこそ、そうでないといけないような気がして、木の枝 とかがある細かい風景を描くのは面倒くさくて嫌いだった。そんなころに美術の教科書で見たピカソの絵なんて、子どもでもかける落書きみたいなもんじゃない かさえと思っていた
グアヤサミンの作品の中で一番印象に残ったのは
人の顔を描いた作品だった
モノクロの顔に光る、ナチスの幹部、アイヒマンの薄ら青い目
非難されるべき人たち(los culupable)と題された男達の顔
それが誰なのかは知らないけど、醜くゆがんだほお骨や禿げたオッサンの眼鏡の奥から死んだようにいやらしくみつめる緑色の目玉 など、その絵は、描かれた人物の内面を強烈に印象づけていた
グアヤサミンの目には、彼らの顔が、こういうふうに見えているんだな
そう感じた。
絵を描くという作業自体は出力作業だけど、それ以前に、目の前にある風景や人物を深く見つめる、その入力過程がなにより大事なんだと気付く。深く見つめ、 その目に映るモノをそれぞれの感性や知識で自分なりに消化し、それを技術や情熱と感性を持ってキャンパスに表現することが、”絵を描く”ということなんだ ろう。それは時に一方的な思い込みに基づくものであったりもするかもしれんけど、その切り取り方で、その風景や人、モノの本質を見せられたようでハッとさ せられることがしばしばある
グアヤサミンの作品からはそんな驚きをたくさん感じた
彼は、南米の多くの国々が独裁政権の恐怖政治のもとにあった70年代、80年代を生きた画家だ。彼の画風が変わったのもそのころと言われていて、それは彼 のキャリアの中で”激怒の時代”(etapa de ira)と呼ばれている。彼はこの時期以降に、有名な作品を数多く残している。だからこそ、恐ろしさやいやらしさ、苦しさや暗さを感じさせる作品が多い。 でも、中には、繊細さや可憐さを感じさせる少女の絵や、一見するとすごく単純なスケッチなのにキトの街のうら寂しさや、素朴さを印象的に適格に表現してい る作品もある。中にはやっぱりなんだかわざとらしいように感じて好きになれないものもある。でもやっぱり、彼の作品はすごかった
ぼくは日々の風景に何を見とるんだろか
絵を描く人たちが見つめているモノの内面や本質などに気付かず
見過ごしていることばかりのような気がして
たまには絵でも描いてみるか、そんな気になった
ちなみに、ピカソに関しては、5年ほど前にスペインのマドリッドで彼の代表的作品”ゲルニカ”を見て以来すごいと思うようになった。中学生のころは、幾何 学のようにしか見えなかったその作品は、実物を前にしたら、気付くと1時間くらい立ちつくしてその絵を眺めていた。彼は、スペイン内戦の過程で起きたゲル ニカ空爆で民衆が被った苦しみや悲しみを、いかに描くか、どんなふうに表現したら伝わるか試行錯誤を繰り返し、あの作品に行き着いた。その過程が、ソフィ ア王妃美術館(Museo Reina Sofia)では、彼の下絵の過程を通じて見ることができる(常設かどうかはわからないけど)。彼の絵は、絵を描くということは、こういうことなんだ、と 初めて気付いたのは、あの時だったように思う
<メモ>
Museo Fundación Guayasamín
Jose Bosmediano 543 y Jose Carbo, Quito, Ecuador
タクシーの運転手に聞いたらたいていわかるはず。museo de guyasamin っていうのも近くにあったはずなので、混同に注意。
YASUNI②先住民・ワオラニ
ヤスニ国立公園は、ペルー国境に接する熱帯雨林のジャングルだ。この土地はもともと、ワオラニ族と呼ばれる先住民の生活の場だった。彼らは、吹き矢や槍で森の獣や鳥を狩り、植物の繊維を編んで作った網で魚を捕り、芋や果物を収穫しながらハダカで暮らしてきた。ちなみに、ワオラニのワオは”人”という意味。ラニはワオの複数形だという人や”場所”という意味だという人がいて、ほんとのところはよくわからない。
ヤスニ周辺のジャングルには今も、文明との接触や現代の生活を拒みハダカで狩猟と採集の生活を続けるグループが住んでいるけど、1970年ごろから始まった宣教師による布教活動や、ジャングルに眠る石油開発のなどの影響でワオラニ族の生活は大きく変わった。
とはいえ、彼らは昔ながらの生活を一部に残しながら、今もこのジャングルに住み続けている。そんな集落のひとつを訪れる機会があり、友人の紹介のおかげで、一晩お世話になってきた。
今も集落に残る伝統的な住居は、丸木を木の葉で葺いた簡素なもの。
ハンモックを吊って眠り、地べたで火をおこし、芋をふかしたり、獣や魚を焼いたりして食べる。今は、ナベやカマもあって、買ってきた米を炊いて食べたりもするけど。
集落近くで、おばあさんのシラミをとってあげている子どもたちを見た
子どもはシラミをとるとおばあさんに差し出し、おばあさんはそれを食べる。
古くから狩りで生きてきた彼らは、今も森に入り、獣を狩る。鳥やイノシシ、バク、サル、アルマジロ、、、昔は自分たちが食べるためだけの狩猟だったけど、今では貴重な現金収入の手段でもある。集落には今も昔ながらの姿(ハダカ)で1年の大半を森の中で過ごし、家で眠ることはめったにないという男達もいる。泊めてもらった家の主人も森に入ったまましばらく帰っていないらしく、結局会えずじまいだった
そんな集落には、いろんな動物がいた
色鮮やかなコンゴウインコ(guacamayo)。ワオラニ語をしゃべれるバイリンガルだ。この羽で、ワオラニ族は、祭り用の装身具や王冠をつくる。
近所のちびっ子が
ん!
と何かを見せてくれた
彼らがチョロンゴと呼ぶサルの赤ちゃんだ
英名はウォーリーモンキー(wooly monkey)というらしい
彼らは基本的に、子どもを抱いているサルは獲らないらしいけど、過って獲ってしまった時は、こうして赤ちゃんを保護して、ペットとして飼うんだとか
となりの家にはまた別のサルがいた
口の周りが白いので、bebe leche(牛乳ベイビー)の愛称で呼ばれている、Golden Mantled Tamrin。このサルは、世界でもヤスニ周辺でしか見られないんだとか
別の猟師宅を訪ねたら、また別のサル
研究者によると、ヤスニでは、10種類のサルを観察できるらしい
この猟師宅には、獲ってきたイノシシと鷹が、無造作に床に置いてあった
彼らは元々、吹き矢と槍だけで獣を狩っていた。今も時々使うらしいけど、最近はみな銃を使うようになっている。弾は30発で70$くらいだとか。かなり高いけど、土曜市で売れるので元がとれるんかな。
以前、別のワオラニの集落に行ったときに、吹き矢(cervatana)をやってみたことがある
吹き矢の本体は1・5メートルほどのものから4メートル以上のものまで様々。真ん中に細い溝を彫った木を2つ合わせてニカワのようなもので閉じ、ストロー状の筒をつくる。矢は、綿つきの耳かき棒に似ていて、竹を削って尖らせた焼き鳥の串くらいの細さ。この尻の部分に栓となる綿を付け、本体の筒の先端から差し込む
これを手で支えて狙いをつけ、プッと吹くのだ。
これがかなり、正確に狙ったところに行く。このとき使った吹き矢は全長1・5メートルほどだったけど、筒が長いほど、正確に飛ぶそうだ。もちろん、長いほど、手で支えるがきつくなるけど。
本来は、矢の先端に、複数の植物の根を煎じて作る毒を塗る。矢が刺さると、動物は動けなくなり、鳥は木から落ちてくる。
いろんな獣の中で、なにが一番美味いのか。サルもバクも野鳥もうまいけど、やっぱりイノシシがうまいと言う人は多い。この日は別のお宅で晩ご飯をよばれたので食べれずじまいだったけど、”またこんどゆっくりおいで、サルでもなんでもも食べさせてあげるから”だって。こりゃまた行かないかん。サルはさすがにちょっときついかもしれんけど。
ヤスニ周辺のジャングルには今も、文明との接触や現代の生活を拒みハダカで狩猟と採集の生活を続けるグループが住んでいるけど、1970年ごろから始まった宣教師による布教活動や、ジャングルに眠る石油開発のなどの影響でワオラニ族の生活は大きく変わった。
とはいえ、彼らは昔ながらの生活を一部に残しながら、今もこのジャングルに住み続けている。そんな集落のひとつを訪れる機会があり、友人の紹介のおかげで、一晩お世話になってきた。
今も集落に残る伝統的な住居は、丸木を木の葉で葺いた簡素なもの。
ハンモックを吊って眠り、地べたで火をおこし、芋をふかしたり、獣や魚を焼いたりして食べる。今は、ナベやカマもあって、買ってきた米を炊いて食べたりもするけど。
集落近くで、おばあさんのシラミをとってあげている子どもたちを見た
子どもはシラミをとるとおばあさんに差し出し、おばあさんはそれを食べる。
古くから狩りで生きてきた彼らは、今も森に入り、獣を狩る。鳥やイノシシ、バク、サル、アルマジロ、、、昔は自分たちが食べるためだけの狩猟だったけど、今では貴重な現金収入の手段でもある。集落には今も昔ながらの姿(ハダカ)で1年の大半を森の中で過ごし、家で眠ることはめったにないという男達もいる。泊めてもらった家の主人も森に入ったまましばらく帰っていないらしく、結局会えずじまいだった
そんな集落には、いろんな動物がいた
色鮮やかなコンゴウインコ(guacamayo)。ワオラニ語をしゃべれるバイリンガルだ。この羽で、ワオラニ族は、祭り用の装身具や王冠をつくる。
近所のちびっ子が
ん!
と何かを見せてくれた
彼らがチョロンゴと呼ぶサルの赤ちゃんだ
英名はウォーリーモンキー(wooly monkey)というらしい
彼らは基本的に、子どもを抱いているサルは獲らないらしいけど、過って獲ってしまった時は、こうして赤ちゃんを保護して、ペットとして飼うんだとか
となりの家にはまた別のサルがいた
口の周りが白いので、bebe leche(牛乳ベイビー)の愛称で呼ばれている、Golden Mantled Tamrin。このサルは、世界でもヤスニ周辺でしか見られないんだとか
別の猟師宅を訪ねたら、また別のサル
研究者によると、ヤスニでは、10種類のサルを観察できるらしい
この猟師宅には、獲ってきたイノシシと鷹が、無造作に床に置いてあった
彼らは元々、吹き矢と槍だけで獣を狩っていた。今も時々使うらしいけど、最近はみな銃を使うようになっている。弾は30発で70$くらいだとか。かなり高いけど、土曜市で売れるので元がとれるんかな。
以前、別のワオラニの集落に行ったときに、吹き矢(cervatana)をやってみたことがある
吹き矢の本体は1・5メートルほどのものから4メートル以上のものまで様々。真ん中に細い溝を彫った木を2つ合わせてニカワのようなもので閉じ、ストロー状の筒をつくる。矢は、綿つきの耳かき棒に似ていて、竹を削って尖らせた焼き鳥の串くらいの細さ。この尻の部分に栓となる綿を付け、本体の筒の先端から差し込む
これを手で支えて狙いをつけ、プッと吹くのだ。
これがかなり、正確に狙ったところに行く。このとき使った吹き矢は全長1・5メートルほどだったけど、筒が長いほど、正確に飛ぶそうだ。もちろん、長いほど、手で支えるがきつくなるけど。
本来は、矢の先端に、複数の植物の根を煎じて作る毒を塗る。矢が刺さると、動物は動けなくなり、鳥は木から落ちてくる。
いろんな獣の中で、なにが一番美味いのか。サルもバクも野鳥もうまいけど、やっぱりイノシシがうまいと言う人は多い。この日は別のお宅で晩ご飯をよばれたので食べれずじまいだったけど、”またこんどゆっくりおいで、サルでもなんでもも食べさせてあげるから”だって。こりゃまた行かないかん。サルはさすがにちょっときついかもしれんけど。
南米トイレ事情
バスターミナル、街の食堂、歓楽街のバー、、、
南米でトイレを借りると、たいてい何かが足りない
それは電気だったり、水だったり、紙だったりして
暗闇の中で用を足したり、流せぬまま放置して出てきたり、手で拭いたりするはめになる。そうならないために、いつもライターを持ち紙を持ち歩くのだ。すべてそろっているなんてことは、ちょいときれいなホテルやレストランでないかぎり、なかなかない。
さてこの日あるバーで借りた便所にも
何かが足りてなかった。。。
何かが。。。
そう、便座がない
こちらではごくありふれた日常の一コマだけれども。
人生で初めて訪れた南米の国はブラジルだった。最初に泊まった安宿や近くの大衆食堂など、どこに行っても便座がなく、しばらく便座のある便所に出くわしたことがなかった。しばらくはそれがふつうなんだと思いこんでいた。便器と便座は別売りしとんのかなとも思ったけど、便座付きで売っとるのがふつうだそうで、南米の人は便座が嫌いで取っ払っちゃうんかいな、とまで思っていた。その後訪れたエクアドルやペルー、ボリビア、コロンビアでも同様で、あれから13年経った今でも依然、便座状況が改善した様子は見られない。
でも、あるところにはあるし、あったほうが快適にきまっとる
ほんなら、なんでこんなにも便座がないとこが多いんだろ
大阪で大学に通っていたころ、自転車盗難がごく日常的にあったので、大阪の下町出身の先輩になぜかと聞いたことがある。そしたら、その先輩はこう言った
”大阪ではな、自転車を使いたい人口と比べて自転車が3台くらい足りてへんねん。仕方ないから、その足れへん3台分を穴埋めするために、そのへんにあるやつを借りんねん。盗まれたヤツは自転車がなくて困るから仕方なくまた別のを借りるやろ、ほんでどこかに放置して、また誰かが借りて、、、そうやって自転車は大阪を循環しとんねん”
実に大阪人らしい言い訳だなと思っとったけど
南米でいつも便座が足りてないのもどうやらそういうことらしい
というのも、こないだタクシーに乗った時、見つけてしまったのだ
トランクに積んである、明らかに中古の便座を。
やっぱりそうか。。。
こうして、便座は南米中を循環しているのだ
大阪の自転車のように
盗んだり、盗まれたり、売られたりしながら
たぶん。。。
YASUNI① 美味。
ちょいとジャングルに行ってきました
目的地はヤスニ国立公園(Parque Nacional de Yasuni)
キトを発ったのは金曜の午後8時。まず夜行バスでシュシュフィンディ(shushufindi)へ。そこから友人の車で国立公園への入り口の街、ポンペイヤ(Pompeya)に向かい、午前6時には着くはずでした。そこで土曜に開かれる市場を見たかったから。
ポンペイヤはなにもないところですが、土曜日には、先住民がジャングルで獲ったいろんな動物を売りに来て、市が立ちます。そこでは、サル、アルマジロ、シカ、バク、コンゴウインコ、、、、ありとあらゆる動物が売られているそうです。それも、食肉として。
でも、、、シュシュフィンディに向かう橋が土石流で崩壊していて。。。
バスを乗り捨てて歩き、乗客らが協力して土石流が起きて間もない現場で、二次災害におびえながら濁流に石を投げ込み丸太を渡し、なんとか対岸に渡ってローカルバスを3台乗り継ぎ、ポンペイヤに着いたのは昼前。動物たちはみんな売れてしまっていました。。。。
空に文句言うても仕方ないし、とりあえず腹へっとるし
なんか食おや、と一緒に行っていた友達に言うと
”これ食え、うまいぞ”
と屋台に連れて行ってくれました
焼き鳥かいな。。。?
と思ってよく見ると、、、
イモムシだ
森から獲ってきたという新鮮なイモムシを
まず水でゴロゴロ洗い
調味料と和えて
プニュプニュと串に刺し
焼くだけ
網の上でしばらくモゴモゴとうごめき苦しんでいたイモムシたちもやがておとなしくなり、香ばしい匂いがただよい始めたらできあがり。5匹連なった1串が1ドルでした。
本体部分は、脂分なんだろか。クリーミーで甘く濃厚。頭(黒いところ)の部分はカリカリで香ばしく、醤油じゃなかろうけど甘辛い調味料とよく合っていてかなりうまい。濃厚なので2本食べたらもういいや、ってなるけど。
ところでこのイモムシ、大きくなったら何になるんだろか?
何人かに聞いてみたけど、みんな知らんって。。。
カブトムシかなって言ったら、そうかも、って言うとったけど
なんで知らんのかいな。。。
目的地はヤスニ国立公園(Parque Nacional de Yasuni)
キトを発ったのは金曜の午後8時。まず夜行バスでシュシュフィンディ(shushufindi)へ。そこから友人の車で国立公園への入り口の街、ポンペイヤ(Pompeya)に向かい、午前6時には着くはずでした。そこで土曜に開かれる市場を見たかったから。
ポンペイヤはなにもないところですが、土曜日には、先住民がジャングルで獲ったいろんな動物を売りに来て、市が立ちます。そこでは、サル、アルマジロ、シカ、バク、コンゴウインコ、、、、ありとあらゆる動物が売られているそうです。それも、食肉として。
でも、、、シュシュフィンディに向かう橋が土石流で崩壊していて。。。
バスを乗り捨てて歩き、乗客らが協力して土石流が起きて間もない現場で、二次災害におびえながら濁流に石を投げ込み丸太を渡し、なんとか対岸に渡ってローカルバスを3台乗り継ぎ、ポンペイヤに着いたのは昼前。動物たちはみんな売れてしまっていました。。。。
空に文句言うても仕方ないし、とりあえず腹へっとるし
なんか食おや、と一緒に行っていた友達に言うと
”これ食え、うまいぞ”
と屋台に連れて行ってくれました
焼き鳥かいな。。。?
と思ってよく見ると、、、
イモムシだ
森から獲ってきたという新鮮なイモムシを
まず水でゴロゴロ洗い
調味料と和えて
プニュプニュと串に刺し
焼くだけ
網の上でしばらくモゴモゴとうごめき苦しんでいたイモムシたちもやがておとなしくなり、香ばしい匂いがただよい始めたらできあがり。5匹連なった1串が1ドルでした。
本体部分は、脂分なんだろか。クリーミーで甘く濃厚。頭(黒いところ)の部分はカリカリで香ばしく、醤油じゃなかろうけど甘辛い調味料とよく合っていてかなりうまい。濃厚なので2本食べたらもういいや、ってなるけど。
ところでこのイモムシ、大きくなったら何になるんだろか?
何人かに聞いてみたけど、みんな知らんって。。。
カブトムシかなって言ったら、そうかも、って言うとったけど
なんで知らんのかいな。。。
予選突破!!
いやあ、気持ちいい試合だった
今日は、スウェーデンのプロリーグでプレーしていたというアラン(エクアドル人)を含む友達数人と一緒にカフェで試合を見とったんだけど、試合のアナウンサーや解説者、アラン、そのほかの客も含めてみんな日本のサッカーを高く評価してくれて。なんだか自分がほめられとるような気分になるね。気持ちよくなって思わずみんなにビールおごってしまった。
アランは
”日本のサッカーは南米みたいだな!コーチは南米で修行したことがあるのか?スピードと、スピードを活かしたパス回しがすばらしい!チャンスになれば大勢で攻め上がるし、ピンチになったらみんなで戻るし、よう動くわ。肺が3つくらいあるみたいだ。つまらんサッカーって言うやつもおったけど、そんなことないぞ、いいサッカーをしとる。これまでのW杯は運もあったかもしれないけど、今日の試合を見てわかったよ、日本は強い。” だって。南米スタイル、っていうのはほかの人にも言われたな。
アナウンサー、解説者は
” コンビネーション、スピード、日本は実にいいサッカーをしますね。特に、松井、本田、遠藤、〓〓(誰だったか忘れた)のコンビネーションがすばらしい!! ” って実況。特に、本田、松井をほめとった。
今日も店で唯一の日本人だったし、まわりの人は余計にほめてくれとるんだろうけど、でも、ほんと、いい試合を見せてくれました。オランダ戦の時も、新聞は、日本の堅い守備、岡田監督の頭脳的采配を評価しとったね。”オランダにとっても楽じゃない相手だった”と。
ちなみに、今大会が始まるまでは、日本のエースは誰だ?と聞かれて”本田かな”と答えても知ってる人はほとんどおらんかったけど、今は大勢知っとるね。日本人だと知ると、”本田はいいね”ってよく言われる。
ちなみに、こっちでよく知られている選手と言えば
今でも、”ナカタ”(中田英寿) なんだな
よく名前があがるのは、圧倒的に中田と中村で、これ以降はグッと減って小野、松井あたりかな。たまに、稲本の名前があがったり、前園はどうしたんだ?と言われたこともあるけど。釜本は?奥寺は?って聞いてみたけど
知っとる人はおらんかった
次はパラグアイ戦。
完全アウェー
ぼくのひとりぼっちの闘いも続きます
Vamos Japón !!
今日は、スウェーデンのプロリーグでプレーしていたというアラン(エクアドル人)を含む友達数人と一緒にカフェで試合を見とったんだけど、試合のアナウンサーや解説者、アラン、そのほかの客も含めてみんな日本のサッカーを高く評価してくれて。なんだか自分がほめられとるような気分になるね。気持ちよくなって思わずみんなにビールおごってしまった。
アランは
”日本のサッカーは南米みたいだな!コーチは南米で修行したことがあるのか?スピードと、スピードを活かしたパス回しがすばらしい!チャンスになれば大勢で攻め上がるし、ピンチになったらみんなで戻るし、よう動くわ。肺が3つくらいあるみたいだ。つまらんサッカーって言うやつもおったけど、そんなことないぞ、いいサッカーをしとる。これまでのW杯は運もあったかもしれないけど、今日の試合を見てわかったよ、日本は強い。” だって。南米スタイル、っていうのはほかの人にも言われたな。
アナウンサー、解説者は
” コンビネーション、スピード、日本は実にいいサッカーをしますね。特に、松井、本田、遠藤、〓〓(誰だったか忘れた)のコンビネーションがすばらしい!! ” って実況。特に、本田、松井をほめとった。
今日も店で唯一の日本人だったし、まわりの人は余計にほめてくれとるんだろうけど、でも、ほんと、いい試合を見せてくれました。オランダ戦の時も、新聞は、日本の堅い守備、岡田監督の頭脳的采配を評価しとったね。”オランダにとっても楽じゃない相手だった”と。
ちなみに、今大会が始まるまでは、日本のエースは誰だ?と聞かれて”本田かな”と答えても知ってる人はほとんどおらんかったけど、今は大勢知っとるね。日本人だと知ると、”本田はいいね”ってよく言われる。
ちなみに、こっちでよく知られている選手と言えば
今でも、”ナカタ”(中田英寿) なんだな
よく名前があがるのは、圧倒的に中田と中村で、これ以降はグッと減って小野、松井あたりかな。たまに、稲本の名前があがったり、前園はどうしたんだ?と言われたこともあるけど。釜本は?奥寺は?って聞いてみたけど
知っとる人はおらんかった
次はパラグアイ戦。
完全アウェー
ぼくのひとりぼっちの闘いも続きます
Vamos Japón !!
