真実は人の数だけある。

 

 

根っこは繋がっているけれど、一人一人唯一無二の存在。

 

 

だからこそ同じ視点に立つという事はなかなか難しいかもしれない。

 

 

 

ツインソウルやツインレイについて、最近話す機会があった。

 

 

この関係って存在するのかしないのか、という議論は実はどうでもいいのね。

 

 

なぜならば、真実は人の数だけあるから。

 

 

宇宙人が存在するかどうか、その話をしても一向に答えがでないのと同じで、

 

 

 

ツインソウルやツインレイと出会った人にしか実際分からないという事。

 

 

そして宇宙人という言葉も、ツインソウルという言葉も単なる言葉という事。

 

ただの共通認識を表したものでしかありません。

 

 

 

なので、全く同じ状況のツインレイカップルやUFOはいないという事です。

 

 

最近、ツインレイはいるのかいないのかという話をしている人がいましたが、

 

いないという人もいればいるという人もいる訳です。

 

 

それは住んでる世界が違うので共感はなかなか難しいでしょう。

 

ただ、多様性を受け入れあう事は可能です。

 

 

色々な奇跡があり我々はこの世に生まれてきました。

 

父と母が出会う前、祖父母が出会わないければ私は存在もしていない。

 

 

色々な奇跡の連続で私達はそもそもこの世に生まれたという事です。

 

 

否定している人にはその世界は見れません。ただ、それだけの事。

そして、必要もないというだけの話です。なので、それはそれで問題は何もないです。

 

その人が否定する事で、私は今ここにいれる事ができるのです。

なぜならば、全ては完璧にバランスの取れた調和の世界で成り立っているからです。

 

いないと思う人はその世界を生きるだけです。

いると思う人はその世界を生きるだけの事です。

 

 

例えば、有名な霊能者が、ツインソウルなんてこの世には存在しません。

と言ったからといって、落ち込む必要はないです。

 

 

もしいると思っているのに、有名人がそういうのであれば、そうなのかも、、と思っているって事は、

自分を生きれていないという事です。

 

 

他人を生きているという事と同義です。

 

 

全ては自分の心が知っています。

 

自分の事は誰よりも自分が知っているのが自然の理です。

 

 

なので、他の人や外に求めても答えは見当たらないのです。

 

 

 

瞑想をすると良いと言っても、それが必ずしも自分に合うとは限らない。

 

瞑想が苦痛と感じるのであれば、やめたら良いです。

 

とてもシンプルな事でも自分の事が分からないのが我々人間なのかもしれません。

 

 

 

ツインレイについて、私はこのブログで散々この概念が必要なのかどうか、

どうも選民思考的で嫌だと感じていた。

 

 

何も特別な事ではなかったと今では思うからこそ、

ツインレイという言葉を抵抗なく使えるようになってきたのも最近の事。

 

 

私の見る真実は、

 

結論は、そのような魂の同志は存在する。

 

 

というのが私の住む世界です。

 

 

 

そして、なぜ出会ったのかというと、生まれる前に決めてきたから。

というのが真実です。

 

 

この言葉に何も抵抗がありません。なぜならば真実だからです。

真実として受け入れられない場合、その言葉はどこかむず痒く、使うのに懐疑的になるでしょう。

 

”多分、、こう。。”という確信ではない時、このような不安定感がどうしても出てしまう。

 

 

でも、今となっては、この肉体を通して自分の真実という奇跡を体験したからこそ、

すとんと腹の底まで府に落ちているからこそ、その”多分、、、”という言葉はなくなりました。

 

 

確信したら、その真実をごく自然に受け入れ、その真実の世界で生きることになります。

 

 

 

私は魂の同志は存在する世界にいます。

なぜなら、存在しない、という事の方が私にとって不自然だからです。

 

 

ただ、ツインレイという言葉に関しては色々依存を作ってしまうのだろうとも思います。

 

しかし、運命の人には変わりありません。

 

 

人がなぜその運命の人と出会いたいのか、

それは、そこに隠された真実があるからです。

 

 

宇宙人の存在が認知されるのと同じ事です。

宇宙人なんて存在しないと偉い人達が言えば、大衆はそれを信じてきた。

 

それと同じ事です。

 

ただ、今となっては、宇宙人はいると知り、彼らと交信する人もいます。

 

 

真実は、この思考が発達した人間社会では、隠される傾向にあります。

 

 

なので、本当に出会った人にしか分からない真実、となっているので、

選民思考的になりやすくなっています。

 

どうしても、思考が追いつかず、自分と比べてしまい、

優劣感をくすぐってしまいます。

 

でもね、極論、

 

真実は人の数だけあり、それを多様性と良い、それを受け入れ合うのがこれからの世界です。

 

 

確かにいる、自分にとっての運命の出会い。

 

名前はなんだって良いです。

 

 

 

お互いを通して学びあい、

魂の姿に生まれ変わるような出会い

 

そして、

 

相手を通して自分を知り、

物理次元を超えた見えない世界を知り、

 

無条件の愛を体現する。

 

 

それを学び合う相手をこの世ではツインレイやツインソウルと呼ぶようです。

 

 

ではなぜ特別な相手になるかと言うと、

 

 

自分の今までの恋愛では経験できなかったような

深いところから湧く愛を感じる相手だからです。

 

 

今までの恋愛でのドキドキ感などとは全く違うベクトルにいます。

 

 

安心感、信頼感で包まれて、ありのままの自分でいれます。

 

 

何よりも、自分を知る事ができ、内面から自分を愛せるようになります。

 

 

相手を通して自分をもっともっと愛する事ができるような

そんな不思議な癒しのある相手です。

 

 

 

そして見えない世界を懐疑的にみるような事はできなくなります。

 

 

見えないエネルギーを感じたり、それらがちゃんと完璧に調和し機能していると知ります。

 

 

だから、全てをありのまま受入れられるようになっていきます。

 

 

宇宙の法を理解し、自分の魂と行動を合わせて生きるようになっていきます。

 

要は自分の真実を生きれるようになっていきます。

 

 

自分の思考と心の中で矛盾は限りなく少なくなります。

 

 

心の葛藤が少なくなり、自分を愛する事ができるようになります。

 

 

他人や外側の現象に悩まなくなります。悩んでも、全ては起こるべきして起こっていると知っています。

なので、感情的な揺れ幅は限りなく小さくなり、平穏、平和が心の中に広がります。

 

 

そして、自分で答えを見つけられるようになっていきます。

 

絶大なる安心感の中で、自分の魂と体が一致し、実際に行動に移し体現するようになっていきます。

 

 

自分は完全に自分の責任で自分の真実を生きれるようになります。

 

 

 

それが自立という事です。

 

 

自分がしっかりと自分を生きるようになっていくと、

 

 

心は癒されて、愛で満たされます。

 

 

自分は一人ではないと知り、自分の周りの人や存在に感謝の気持ちが湧いてきて、

 

そのエネルギーをまた自分を通して外側に流していく心臓のポンプのような

 

 

そんなエネルギー交流を通して愛が周りに広がっていきます。

 

 

 

 

 

魂の同志と出会うと分かりますが、出会う前に探す必要はありません。

 

 

そして、出会う人はそもそも約束して出会うように決めてきているから、心配せず探さなくて良い訳です。

 

 

 

出会う約束をした人には、協力者や、導く人がいたり、そのような本に出会ったりして、気付けるようになっています。

 

 

 

 

そもそも、いないと決めつけている人には、悲しいかな、それもまた今世で例え出会ったとしても、

 

 

その真実を受け入れられないでしょう。

 

 

 

 

何も決めつけず、自分の思考をストップしていたら、

 

 

運命ならば、必ず出会い、そして気づくようになっています。

 

 

 

出会えない理由としては、思考で魂を捉えているからです。

 

 

 

魂の事は自分の思考ではなかなか理解できないです。

 

 

 

全ての出来事にオープンでいる事です。

 

 

そうすると、キャッチできます。

 

 

 

見つけようとしているから、その探しているモノと違った場合一生見つかりません。

 

思い込みが真実の邪魔をしているからです。

 

 

 

なので、いないと思う事も、いると思う事も決めつけずに気楽に生きていれば、出会うかもしれません。

 

 

何度も言いますが、そもそも、出会う人は生まれる前に決めて生まれてきているので、

悩まなくて良いです。

 

そして、羨む必要もありません。

 

 

 

全ては自分を知り、自分を生きる事が幸せに繋がっているからです。

 

 

 

自分の好きな事、好きな人、好きな家族を通して自分を知る事もまた同じ事だからです。

 

 

自分の真実を生きる事が何よりもの幸せな事です。

 

 

他人の真実を生きなくて良い。

 

 

 

運命の人なんていてどうするの?

 

自分に必要がないから出会わないだけだから、比較して落ち込む必要ももはやありません。

 

 

 

 

むしろ、この人運命の人だと相手を縛り、自分も縛っている場合は、

 

窮屈で、苦しさだけが増すでしょう。

 

 

自分の真実の相手であれば、苦しさから徐々に開放されます。

 

信頼感で満たされていきます。

 

何よりも自分を信頼できるようになっていくので、相手が物理的にいなくても大丈夫な自分になっていきます。

 

 

魂の真実であれば、安心感や信頼感があり前向きなエネルギーの循環が生じていきます。

苦しくて辛いと思う事は必ず過ぎ去っていきます。要するに停滞はしないでしょう。

 

少しずつ少しずつでも前進していきます。

 

 

 

 

自由に自分の魂を解放しよう。

 

 

魂の願いは、自分の思考からくる願いとは規模が全然違い、想像がつかないことをやってのける。

 

 

 

 

自分の真実という奇跡を生きよう。