魂という視点からツインレイという概念について思うと、
色々な限定された枠がある事に気づく。
というのも、ツインレイやツインソウルという概念をどこまでも執着を持って
追求したところで、その事を思っているという事は、
現状維持を自ら選択しているのに等しい事に気づく。
そもそも、大いなる源から分け御霊として生まれた我々人間は、
この世に生まれて、色々な体験、経験をして魂の成長をする事が目的なのだから。
ツインレイの彼との統合と考えていると、そのループから外れるのも一苦労というところでは無いかと思う。
こればかりは自ら変化を選び、何も代わり映えもしない思考のループから脱却していく選択をするのも
本人の自由意志だ。
ただ、どんなに時間がかかろうと、全ては完璧なタイミングなのだろう。
このツインレイの概念で悩まされるのも、一つの体験としては通るべくして通る道というのか。
人間は自我の芽生から、ワンネスからの分離をしてきた。
そして、想念というエネルギーで地球の周りにエネルギーの層を作ったかのようだ。
慈悲深い地球は全てを受け入れて常に前進し進化をしているのだから、尊い存在だ。
人間だけがエゴを持ち、他人と比較し、サバイバルをしながら、常に食うか食われるか、
勝つか負けるかで生き、様々な現象を自分達の都合の良いように解釈し、コントロールしようとしているにすぎないのだろう。
そんな人間のエゴに向けて、地球は環境を持って目覚めを施しているようだ。
ツインレイについても同じような物では無いかと思う。
カルマというのは、自我が芽生えた事によって生じた目的、つまりはエネルギーの滞りであり、
転生してはその目的を果たして、自ら創った想念エネルギーを循環させていく事が我々が何度も転生してくる訳である。
この肉体は有限なので、いつか滅びる。
その生で果たせなかった事は来世と言われる生で果たす事になるのだ。
それが、カルマや宿命を持ってある程度決まっている事の訳である。
宿命というのは、生まれ落ちてくる時に最初に受け皿となる親や家族や、親しい友や、ビジネスパートナーなども含まれる。
要するに切っても切れない学び深い関係性という事だ。
ツインソウルについては、要するに、
生まれる前から今世では、誰と会うのか、誰と修行の続きをするのか決めてきているのだから、
学び多い相手として、宿命を背負った出会いの相手であるというだけだ。
自分にとっては特別だが、ツインレイとされる相手と出会った事は特に特別な事でも無い。
今はようやく目覚めた人が多いのか、ツインレイに出会うためのセミナーなんていうのが、
いっときのブームの様に過ぎ去ったのでは無いかと思う。
今後は、形に囚われない、本質に生きる人が増える。
それは、低次では無く、高次のものである事は間違い無い。
なぜなら、人間は地球という慈愛深い生命体に乗り、地球に教わりつつ少しづつだが、進歩しているからだ。
霊界には階層があるのはこれはもう仕方無い事なのだ。
なぜなら、波長で全てできているから、波長が引き合うところに自然と還るようになっている。
ただ、地球は色々な波動を持った魂が混在している、開かれた学びの地なのだ。
ツインソウル要は魂の同志と出会われた方は、霊的覚醒を施されるようなインパクトのある出会いを
彼との関係性を通じて経験していると思われる。
深遠なる学びをしている最中な方も多いのでは無いかと思う。
彼との関係性から学ぶ事は、些細な事から、大局を見据える視点さえも学んでいる事でしょう。
その相手との間には何かしらの課題や学びがある。
愛とは何かを知り、この世の成り立ちや、生まれた意味さえ分かるようになるはずだ。
何度も何度も同じような体験をする場合、何か変わる必要があるのだと気づく。
運命は環境を持って、学びを教えてくれるのだ。
グルグル同じ思考ループにいる場合は、違う選択を自らで選択して見たら良い。
目に見えるように、そのループから解放されて、自分に課した呪縛からまた自由になる事に気づくだろう。
人生はその繰り返しだ。
何度も何度も同じように、自分を自分から解放していく作業をしている。
そうするとどんどん軽くなるのだよ。気持ちも明るく前を向くようになってくる。
魂は光そのものというのは、我々はそもそも明るさそのものなのだよ。
思考が明るくなると同時に、未来を切り開いていくパワーが漲ってくるだろう。
そして、だれ一人残らず、特別な存在であるのだ。
愛を体現し生きる事、それしか我々にとって重要な事はないであろう。
溢れ出す愛を留めているのは、自分だ。
ツインソウルがどうとか、どうでも良いではないか。
統合を目標にしている本人が統合を知らない場合、それは永遠に解けないループになる。
彼との統合を目指す意味はなんなのか。どうしてそれを目指しているのか。
今一度考えたらいい。
そこに意味など求めても仕方がない事に気づく。
つまり、その目標は魂にとっては大した事のないものであるかのようだ。