最近、職場でパワハラ的なものを受けてまして、ふと気づいた事があります。
「パワハラ」と認定はできないような
地味〜な嫌がらせ。
私はみみっちいオトコは大嫌いで、
私自身、保守的な男性から見るととても生意気(らしい)なので、プライベートではそういう男性が周りに居ることはありませんが、職場では時々出会います。
とにかく、地味だろうがなんだろうが、
パワハラは暴力です。
そういう暴力を久しぶりに受けて気付いた。
過去に受けた、もっと大きな暴力が、
今の暴力から私を守ってる。
ということ。
目から鱗でした。
ネガティブな過去の経験が、
こんな風に私の味方になることがあるなんて。
過去に遭遇した暴力は、いくつかありますが、
いちばん忘れられないのが、
中学校で半年間教えてたとき、その学校のボスみたいな男の子とタイマン張ったこと。
子供相手なので、その子が悪い訳でも、
憎い相手でもないのですが、
その分、「純粋な」暴力だったと思う。
そこはかなり荒れた区域で、
やんちゃな子がいっぱいいた学校でした。
「先生」だから言う事を聞いてもらえるなんてことはなく、強い者が偉い、という厳しいヒエラルキーの世界。
そういう地域では、
子供達だって、暴力にさらされながら、
必死に生きているんだから、当然です。
生き物としての度胸が認められなければ、彼らを従えるなんてできません。
まあ、荒れてる中学校で教えるのがどんなに大変かは、想像つきますよね。
ある日、そんな学校で男子のボスをやってた子が、私が授業しているときに反抗してきました。
それは、適当にかわしたり、あしらったりできるものではなく、
「タイマン張りに来た」反抗だったんです。
これは気合入れないといけないヤツだな、と察したので、授業を中断して、受けて立ったんですよね。
その反抗は、人として、
「男性」が「女性」に対する行為として、
決して許してはいけない言葉や態度だったので、
それは絶対にやってはいけない事なんだ
と言う事を
教えなければいけなかったんです。
それで、
私も怒りマックスにして挑んだところ、
結果として、
私が勝って、
クラスに秩序が戻った。
と書くと、簡単なようですが、
そこには複雑な力の取引がありました。
もちろん。
実は、自分が何を言ったのか、
よく覚えていません。
あまりに怒りが大きすぎて、
覚えていないんです。笑。
ただ、覚えているのは、
この子に殺されたとしても、
これは許してはいけない。
これが分からないなら、
このまま生かしていてはいけない。
という気迫で挑んだ事。
もちろん、本気で殺し合いみたいなことをするつもりはありませんが、そういう命のやり取りレベルの瞬間だったのです。
相手は、自分よりもずっと体の大きい
ゴツイ男の子です。
相手が本気を出せば、当然負けます。
手首一本捕まれれば、
ソッコーで負けます。
なので、私が勝ったのではなく、
彼が、負けてくれたんです。
なぜ勝たせてくれたのか?と考えてみると、
深いところに、彼への信頼があったからなのかもしれません。
つまり、
彼が逆上したら、殺されるかもしれない
というリスクを負って、彼に挑んだということは、彼に命を預けた、ということです。
命を預けたということは、
深いところでは、彼の良心を信じたということになります。
とはいえ、
「彼を信じた」という意識ではなく、
私が教える子供を、こんな悪のまま大人にする訳にはいかない。
という大人としての責任感です。
それと、体は大きくても、
まだ子供である彼への愛情。
殺されたとしても、
ここで止めなければいけない。
という想い。
最近の親はどうか分かりませんが
ひと昔前の「大人」は当然のものとして持っていた感覚ではないでしょうか。
信じていたというよりは、
殺されても仕方ない、という覚悟です。
実際、中学生が先生を刺す、何ていう事件はたまに起こってますからね。
その子の性質とか、自分の力量とか、タイミングとかがずれていれば、
起こりえることなんだと思います。
剣豪の居合いのようなもの。
私は、見た目はヒョロッとした、うら若き学生上がりの新米非常勤講師で、
最初は現場の先生にも全く当てにされていなかったし、私自身、そんなことができるとは思っていなかったのですが、
実家の一族が、やたらと教師の多い家系で、
おじいちゃんとか、おじさんとか、
子供の成長に関わってきた、ドーン!とした大人が多かったので、
そういう大人達に育てられた事で、たまたまできたんじゃないかと思います。
で、
その出来事の後、
彼が私に勝ちを譲ったことで、一目置かれ、
やんちゃグループだった子たちも協力的になって
そのボスに虐げられがちだった男の子も、
私のいる場所では安心して過ごせるようになり、とっても良い流れになった。
そのボス男子も、私にちょっとはにかんだ可愛い顔も見せるようになった。
私に暴力を放ってきた男の子が、
ボディガードに変身したということです。
そんなことある!?
っていうような、昭和の教師ドラマみたいな話ですが、
子供って本当に素直だから、こういうことは起き得るのだと思う。
それで、
この話は、私の過去の武勇伝だったのですが、
最近、地味なパワハラや意地悪を受けるようになって気付いた。
このボスだった男の子のエネルギーが、
私の中にまだ宿ってる。
現実の彼はもう大人になっているでしょうし、
その学校で勤めていたのは短期間で、その後連絡を取るようなこともなかったので、
今はその当時の事とはすっかり切り離された世界にいるのですが、
私の中に、あの子はずーっと居たんだな。
と気づきました。
私に放ってきた暴力、その強さ。
タイマンで挑んだ時、
彼と私は、交換したのでしょう。
暴力的な強さと、
温かい良心というもの。
私は、暴力とは無縁の平穏な家庭で育ったので、
私は自分の中に、周りを威圧するような暴力的な攻撃力を育てた事はなかったんです。
そんな私の頭の中に
地味なパワハラを受けながら、
浮かんできた言葉。
雑魚が。
コレ、私の言葉じゃないと思う。笑。
あの男の子が言ったんだと思う。
やんちゃな学校で男子のトップに君臨してたあの子からすれば、
組織の役職の力に頼って、みみっちいパワハラしてくる奴なんて、そりゃあ、雑魚です。
そして、そういう輩に対して、
シューンとなるどころか、
コイツに手出して良いと思ってんの?
みたいな迫力が背中から湧いてくるのは、
あの子にもらったエネルギーなんだと思う。
なんか、背中の辺りに、
あの子の顔や姿があるのを
生々しく感じるんですよね。
あの時、
彼と私の間で起こったのは、
陰と陽が、
くるっと回転して、
お互いの体に入ったみたいな
そういうエネルギー交換だったんじゃないだろうか。
そうやって、
今でも、私は彼に守られているし、
私がその時、命をかけて(イヤほんとに)
引っ張り出した彼の良心も、彼を今でも守ってくれているといいな。
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暴力にも色々あって、
決して肯定してる訳じゃありません。
決して向かい合ってはいけない暴力もあります。今、危険の最中に居る人は、逃げた方が良い。
ただ、もうすでに過去の体験になってる場合、
それはトラウマになるばかりではなく、
今の私達を守ってくれるものになることもある
という事は、大きな気づきだったので、書いてみました。
というのは、
その男の子の話は、まだ相手が子供で、純粋なエピソードだけれど、
私自身が子供の時に受けたイジメや、大人になって受けた酷いパワハラの体験もあります。
それらは、心にも体にも長期で影響するようなダメージのあるキツイ出来事だったけれど、
最近、その地味なパワハラを受けるようになって、自然に攻撃を仕返してる自分にも気付いたんですよね。笑。
その、「攻撃の仕方」は、
過去に私を攻撃してきた人達からダウンロードしたみたいです。
つまりは、
暴力の連鎖と言われるヤツでしょうか?
でも、
ちゃんと自分の中で、自分の暴力に引きずられない強さを持てたら、
暴力の連鎖は、
自分や誰かを守る、
愛の連鎖
に変身できるのかもしれないですね。
