昨日書いたことに続いて、
少し前に気づいたことを書いてみます。
20代後半で、
「私が一番やりたいこと」を考えたときに出てきたのは、
私は美しくありたい
という欲求。
とはいえ、
私は自分のことを美人だとは思っていないし、
たくさんのコンプレックスに覆われています。
綺麗でモテる女友達が多かったから、
彼女たちを見ては、
こういう女を美人っていうんだな
なんて思って、
自分とは違う人たちだと認識していました。
でも、矛盾してるみたいなんだけど、
そういう客観的な思いとは全く別のところで、
私は美しい
っていうことに、
圧倒的な自信もあったんです。
これはもう、物心ついた幼い頃からです。
どう説明すればいいのかな。
社会の基準で、綺麗でモテる人たち、
造作の整った人たちがいて、
確かに彼女たちが美しいのはわかってるんだけど、
私の世界に帰ってきたら、
私が一番綺麗なんです。
笑。
コンプレックスもたくさんあって、
私より綺麗な人たちが世の中にはたくさんいる。
なんなら、身近な友人だって明らかに私よりもずっと美しいのは知りつつも、
私が一番綺麗
という思いも共存してる。
これがどういうことなのか、
実は長年、謎だったんです。
私は綺麗な友達が多いと書きましたが、
これは本当で(というか、みんなそんなもの?)、
中学校の頃から、学校で一番可愛い、と評判の女の子や
高校のときは、他校から男の子が見に来てたという女の子や、
今でも、彼氏が何人もいて、美人人生を楽しんでるような女の子や、
お店に一緒に入ったら、店内にいた男性たちがハッと彼女を見るような女の子やらが、
身の回りにいるんです。
一方で、私は、フツーなんです。笑。
でも、彼女たちと一緒にいても、
嫉妬も起こらないし、負けたとも思わないし、
へぇ、すごいなぁ
と感心することはあっても、
劣等感で息苦しくなる、みたいなことはなかったんですよね。
それがなんでかっていうと、
私はフツーなのにもかかわらず、
私もいちばん綺麗だからね
っていう妙な自信が常にあったから。
でね、この、綺麗な彼女たちを前にして、
私が一番綺麗などと思いつつ、
でも競争意識にもならない
この仕組みがどうなってんのかな??
と思ってたんですが、それが、ふと、
さいきんわかったんです。
私の世界には、私しかいない。
これが理由だった。
私の世界には、私1人しかいないんです。
だから、
私は世界でいちばん美しい
は当然だし、
真実だし、
揺るがないの。
これに気づいたとき、
なんておめでたいんだ。。。![]()
と我ながら感心したけど。笑。
みんな持ってる、
生まれながらにデフォルトの設定なんだと思ってます。
