夜になって、実家から、
トイレットペーパーは大丈夫か?
と連絡があったので、
なんのこっちゃ?
と思ったら、
紙製品系が買い占められてるんですね。
トイレットペーパー、ティッシュ、おむつ、生理用品、といったもの。
ふだんストックは置かない方針なので、
たちまち無くなると困るなと思って、買いに出たら、かろうじて、トイレットペーパーとティッシュ1点ずつは手に入ったけど、そのお店も残り3点ほどだった。
他のお店ではもう全て売り切れていました。
昨日まではあったのにね。
なんでトイレットペーパー売り切れてんの?
コロナって下痢とかするんだっけ??
なんて思ってたら、
マスク=紙製品
→ペーパー用品も無くなるぞ!
という発想なんだってね。
もーーー。やめてほしいな。そういうの。
お金と同じだ。
自分のところに溜めておかなかったら、
ちゃんとみんなに行き届くのに、
恐怖のために、自分だけを守ろうと握りしめてしまう。
今日1日、海外ドラマ観ながらゴロゴロしてたら、世間はいつのまにか非常事態になっていた。
それでもまだ、
個人的には恐怖を感じてないのは、
やっぱり過去10年、ひたすら体と向かい合ってきたからなんだろうな。
20代の頃だったら、
確実に恐怖にすくわれている。
その頃、
自分の体が全く信じられなかった。
というか、よく知らなかった。
体とコミュニケーションが取れてなくて、
単なる風邪でも、自分の体の力で治せるなんて分からなかった。
子供の頃から、具合が悪くなったら毎回、すぐに薬を飲んでたから、体がどうやって、風邪というものを乗り越えていくのか未知だったんだよね。
生理痛も失神するほどひどくて、
生理痛が来たときに、痛み止めが無かったらどうしよう。。。
というのを、
常にとてつもない恐怖として抱いてた。
だから、
感染症とか体調不良とか非常事態とかが、
とても怖くて、いつも、先手を打たなくては、備えていなくては、と恐怖にかられてた。
その恐怖に怯えるのが嫌で、
その後、なるべく薬を飲まない生活や、
ナチュラルな生活を目指して、
体ひとつで生きていける
という挑戦を少しずつしていった。
その結果、
今は、生理痛はまだあるけど、
薬が無くても乗り越えられるレベルになって、
紙オムツみたいなナプキンじゃなくても、
布ナプキンでも凌げるようになって、
風邪をひいても、
病院にいかなくても、1人で治るのを待てるようになった。
もともと体力や免疫力が強い方ではないので、過信はしてないけど、
そういう、
体と一緒にやってきた体験と結果が、
恐怖に転がるのを防いでると思う。
10年前の私、
こっちに舵を切ってくれてくれてありがとう。