ショップができましたー
わーいわーい。
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こちらです![]()
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手作りランジェリー。
今完成してて、手元にあるもの、3枚だけの販売です。
買ってください![]()
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ランジェリー作りを始めた思いは、以前も書いたことがあって、たしかに、それも本当なのだけど、今日、そういえば、もっと現実的な理由があったな、と気づきました。
自分にとって、自然すぎる発想だったから、
これまで気付かなかったんです。
それは。。
ランジェリー屋さんになれば、
ランジェリーに困らない。
というもの。笑。
長年、ギリギリの生活を経験してるとですね、
買い物の優先順位というのが決まってて、
まずはライフラインから確保。
家賃、水道、電気、ガス、でしょ。
それともちろん、食費。
お金の足りない思いをされたことのある人なら
想像つくと思います。
贅沢品を何とするかはそれぞれだと思いますが、まあ、とりあえず、余分なものは買えないわけ。
ちなみに私は、この20年、
付箋とか、ハンカチとか、ボールペンとか、
あっても無くても大丈夫な物を、
なんか可愛いから買ってみた
とか、ほとんどありません。
姉とか友人が、
ときどきそういう「遊びで買った」という物を会うたびにくれたりするんだけど、
お金あるなあ
って思う。
不幸自慢をしたい訳ではなく、
(私は私のゲームを楽しんでるからいーの
)
こういう買い物ができるかどうかって、
分かれるなぁって思うんだ。
でね、そういう優先順位の決まった生活費のやりくりをしてると
欠乏感
というのが生まれるんです。
あれが欲しいのに、手に入らない。
って状況が長く続くと、そういう気持ちが染み付いてくる。
お金が無いとしても、そういう欠乏感が染み付いてしまうのは、嫌だなぁ、と思うのです。
これは、多分、お金のある無しではなく、
お金持ちだったとしても、「欲するものを自分に与えることができない」のであれば、そこに欠乏感は染み付くものだと思っています。
そして、欠乏感って、「欲しいもの」に対して生まれるものだから、「欲しくないもの」には生じない。
例えば、私は、ゲーム機は1台も持っていませんが、ゲームに興味がないから、欠乏感も全くありません。
3年前くらい、口座残高が10万円を切りそうになったことがあって、当時は今より「お金の不安」に支配されてたから、怖くて怖くて。まだ奨学金も返済中だったしね。
その時に、
食べ物に対する欠乏感
が生まれてきてる、と気付いたの。
これは、ヤバいと思った。
食べ物で飢えてるって、これはあかんと思いました。
その頃ね、京都の真ん中に住んでたから、
美味しくてお洒落なパン屋さんとか、ケーキ屋さんとか、カフェとかたくさんあったんだけど、小麦粉が値上がりしたとかで、ケーキもパンも一気に値上がりして、気軽に買えなくなったんだよね。
普段のごはんに加えて、ちょっと嬉しい
美味しいパンの朝ごはん、とか、おやつとか、ささやかな日々の楽しみを我慢するようになったの。
最低限、栄養が取れるだけのごはんしか買わない。
週末、自分に「3時のおやつ」を買ってあげることができなくて、しょんぼり過ごした。
そういう事が続いて、
欠乏感になってた。
だから、それに気付いてすぐ、
パン屋さんで副業バイトを始めた。
京都で、私が一番美味しくて、店内も可愛い
って思ってたお店で。
おかげで、最高
に美味しいパンが社員割引で買えるようになったし、ときどき試作品を味見させて貰ったり、パンの耳もらったりね。
とにかく、そうやって、
欲してたのに手が出なかった物に囲まれる場所に、身をおいたんです。
美味しいパンに囲まれる生活にした。
平日も普通に働いて、
週末、パン屋さんでバイト。
週末休めないのはキツかったけど、
1年も経つと、欠乏感はすっかり消えていました。
もう、パンは十分!
ってくらいになった。笑。
ついでにお金も貯まった![]()
そ、れ、で、
今回は、ランジェリー
となった訳です。
八木さやちゃんの発信聞いててね、
古い下着をずっと履いてるとかナシで、
ときめく上質なランジェリーをどんどん回していきたいって、強く欲した。
そこに一瞬の躊躇も生じさせたくなかった。
そして、
べっぷゆみこさんさんの商品見て、
わー綺麗!
って思った。
でも、さくさく買えない。
今の状態だと、どんどん買うと、支払いに痛みが走って躊躇してしまう。
あ、じゃあ、
ランジェリー屋さんになろっ![]()
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って思った。
お店屋さんになれば、その商品が溢れる世界に身をおくことになる。
私にとって、
欠乏感が生まれる場所は、
そこを洪水のように満たせ
というサイン。
美しくて可愛いランジェリーに囲まれる生活。
そういう世界を自分の周りに作ろうと思った。
このショップは、そんな溢れるランジェリーの、お裾分けです。
