昨日の投稿は、ちょっと恥ずかしかった〜
きゃ~![]()
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葛藤とか、
心揺さぶられる感情が出てきたときには、
それが受け入れ難いことでも、スルーせずにキャッチしようと思っているのだけど、
昨日のを読み返して理性的に考えたら、なんて子供っぽいんだ。。。
と、恥ずかしくなって、ジタバタしました。
何が恥ずかしいって、
70歳を越える母に、お母さんひどい!と言って甘えてるところです!
わあわあ![]()
でも、そんな感情を捉えて、じっくり見つめたことで、いいこともあった。
自分にお金が無いことが信じられなくなった。
そして、お金だけじゃなくて、
「何も持っていない」ことが信じられなくなった。
1年くらい前からかな。
私は、お金も恋人も若さも、何も持っていない。
ということを真正面から受け止めることにした。
幸せの要素というものを、
何も得てこれなかった。
ゼロ 0 なんだと。
それはとっても怖い作業だった。
それまでは、
どこか、社会の勝ち組に片足突っ込んでいたくて、どうにか自分を成功してると思おうとしてた。
何をもって成功というかは、もちろん人ぞれぞれだけど、
自分が何も持っていないと思っていることで
傷ついている
ということを、
誤魔化さずに見つめることにしたのです。
そして、それをブログにも書きながら、
ずーっと見つめ続けた。
そうすると、
そういう「何も持っていない自分」が悲しくはなくなった。
そこに感情が発生しなくなった。
例えば、
お金がなくて惨めだ。
じゃなくて、
お金がない。あはは。
となった。
で、そういう時期がずっと続いてて、
この状態がゴールだと思ってたんだけど、
昨日のブログの投稿をして、今日、新たな感覚が生まれた。
え?ほんとに私、お金稼げないの??
って、私がこの1年見つめ続けた
「お金が無い=お金が稼げない」
という設定を、疑う心が生まれた。
お金が無い、
と告白するとき、最初はドキドキした。
そして、それを見せ続けて、見つめ続けて、
その内に慣れた。
そして、たぶん、今、飽きた。
なんだか、今まで
「お金の無い私」という役柄を選んで、
そこに浸りきってたみたいな感覚。
そして、今、飽和点に達して、
その役柄から、スッと、抜け出たみたいだ。
お金が無いという設定で見れる景色。
経験、感情。
そこに生まれる葛藤。
その世界にいたはずなのに、
どこかに行ってしまった。
こういうの、成仏って言うんだと思う。