仕事が終わってから近所の温泉に寄って、

ホカホカになって、

帰って晩ご飯食べて、韓国ドラマ見ながらゴロゴロしてたら

頭に浮かんだ言葉。

 

思い切り愛そう

 

さいきん、ちょっと重いなあと感じている人間関係があったのです。

そのせいで、日々が重く感じていた。

この言葉が浮かんだ直後、そういう重みを感じさせる関係がいくつか浮かんで、

 

私の愛し方が中途半端だったのかもしれない

 

と思った。

 

愛されたい人は、世の中にたくさんいる。

通りすがりに、ちょっと挨拶を交わすだけでも、人は、そこに愛を求めていると思う。

私ももちろん、そう。

 

他の人はどうなのかわからないけれど、

私は、昔から、「愛されたい人」に絡まれやすい。


絡んでくる人は、私を求めてというよりは、

私の後ろに、私を巨大な愛で包んでくれた両親を見ているのではないかな?と思っているのですが、

(私の両親は、「安定」の代表みたいな人たちで、「子供」はみんなそういう「安定」を求めていると思う。)


とにかく、どこか、愛され足りなかった感じの人たちに好かれる傾向がある。

 

それで、まあやっぱり面倒だから、

適当に逃げるのですが、

どうやっても逃げ切れないケースっていうのが時々ある。

 

そういうときは、覚悟を決める。

 

この人を、自分の子供のように愛そうと。

 

 

そこまで覚悟を決めなければいけない縁は滅多にないのだけど。

前回あったのは、6年前。

 

相手がいつまでもからみつくということは、

満足していないからだ。

私の愛が足りないということ。

 

なぜ、家族でもない、偶然出会った人にそこまでしなくてはいけないのかは

分からないけれど、なぜかそうなるんだよね。

 

今朝は、キングコングの西野亮廣さんのこのラジオを聴いていて、



テイカー、すなわち奪う人からは逃げろと言われたばかりなのに。笑。

でも、こんな風に「なぜそっち?」と思うようなことを体がメッセージしてくるのは、

大抵、正解なんだよね。



 

そして、これを書きながら、気づいた。

 

何も考えずに、思い切り愛すること

 

前回の失恋から、やっていない。私。

 

私はもともと、大変素直な単純な性格で、好きになったら単純にその人の魂まで大好きになる。


複雑な事情や、不安は想像もつかず、

今好きなんだから、一生変わらず好きドキドキドキドキ

 

って思う。


でも、怖くなったんだよね。


予想もつかない展開で破局して、

めちゃくちゃに傷ついて、

その後も数年に渡ってその破局を元にしたダメージもいくつか起こって。


単純にまっすぐに誰かを愛するという事が、怖くなった。


よくある話だけど。


失恋から「回復した」と思ってた私が抱えてた恐怖は、静かに心の中で隠されていた。



あの単純さを取り戻そう。



100日投稿のゴール直前、

「私」がくれたメッセージです。