きのうの続き。
運命の人はいない
って改めて思ったきっかけは、
このドラマを観ていて。
エリザベス女王2世が主人公で、もちろんそこには脚色があるだろうし、ドラマという作り物の世界なのだけど、
お金も名誉も地位も仕事も、
何もかも揃っていて、
見た目も美しくて、何不自由ない、
王族とか、超上流階級にいる人たちも、
「運命の人」を求めて
苦しんでいる。
そして、
それは結局、手に入らない。
その人といると満たされる人、
心が踊る人、
魅力に溢れた人
そんな人が、
自分だけを愛してくれる
ということ。
それは、手に入ったかと思うと、
壊されたり、消えたり、違うものに変わったり、
失くなってしまい、決して手に入らない。
私のいる世界と全く同じ。
失恋したり、恋愛がうまくいかなかったとき、
私は自分に何か足りなかったと考えがちで、
それが長い間、とても辛かった。
お金があれば、
もっと若ければ、
もっと美しければ、
もっと魅力があれば、
もっと従順だったら、、、
でも、これら全てを手にしている王族の人間だって、同じことに苦しんでいる。
まっっっっったく同じことで!!!
ということは、、
「自分に足りない何か」は、
理由じゃないんである。。
私にお金があろうと、
私がもっと若かろうと、
私がもっと美しかろうと、
同じ事は起こる。
最近、私は男性に、
劇的な何かを求めなくなった。
運命的な直感みたいなときめき
男性に、というか、
そういうものを、外の世界に求めなくなった。
男性にそういう物を求めて走り出したい気持ちが自分の中にふと生まれたときは、
むしろ、自分の中「間違ってる感」を感じる。
ジャンクフードに走るときと同じ。
つまり、
「自分に足りない何か」が原因なのではなくて、
その行動の根本が間違ってたんだよね。
外には何もない。
あるのは自分の内側。
ときめきも、運命も、使命も。
外に求める限り、
「違うよ」っていう答えが返ってくるだけ。
運命の人はいない
っていうのは、
投げ槍な、悲観的な意味じゃなくて、
それは、思ってたのと
全く違う姿をしている
ってこと。
具体的な人物像という意味ではなく、
追い求めるものがある場所は、全く予想と違っていて、そのエネルギーも、思ってるものとは異質のものだということ。
「ときめき」も、
本物のときめきは、思ってたのと違うものだったと、感じ始めてます。
そんな、感じ方の変化が、
別の道に繋がっていくんだろうな
と思っています
