ネガティブな経験、
とくにそれが暴力的だったり、理不尽なものを肯定する訳では絶対に無いのだけど、
悲しみや憎しみのようなネガティブな感情と、
幸せや喜びのようなポジティブな感情って、実はそんなに違いはなくて、同じようなもの、
トランプの
ダイヤのJack♦️J (表Jack)か、
スペードのJack♠️J (裏Jack)か、
みたいなもの、つまりは陰陽。
なんだと思う。
今までで一番、ほんとーーーに!
嬉しいことが起きたとき、
頭はパーン!と真っ白になって時が止まる、
みたいな感覚で、
何かを「感じる」という感じではなかった。
その瞬間、「嬉しい」も「幸せ」も、何もなかった。
その「真っ白になる」感覚は、
とても悲しい事が起こったときも同じ。
喜びも、悲しみも、
その、パーン!と真っ白になる瞬間のあと、
それによって何が起こるかということを予想した思考によって起こる。
失恋した→パーン→もう会えない=悲しい
宝くじ当たった→パーン→もう働かなくていい。あれも買える、これも買える。=嬉しい
パーン
のところは、同じ。
だとしたら、
重要なのは、その感情の種類じゃなくて、
感情の絶対値なんじゃないかな。
小さな悲しみしか感じられない人は、
大きな喜びを感じることも出来ない。
小さな値の絶対値の範囲内で、
あらゆる感情が起こってる。
大きな悲しみの中にいる人は、
その悲しみと同じだけの大きさの喜びを感じる力があるということ。
社会の主流は、
なるべくネガティブな感情が起こることが少ない人生になるように、というのが理想とされていると思うけれど、実際はそれだと、幸せを感じる力も小さくなるだろう。
それも1つの愛だとは思うけれど、
ポジティブな経験と共に、ネガティブな経験を受け入れるっていうことは、
自分への、もっと大きな愛だと思う。