古くからある諺や、物語、聖書の言葉なんかが

自分に起こった体験を通して、


そういうことだったのか。。


と、その意味が分かることってあると思うんだけど、

そんな風に、

ここ数年の体験を通して、「そういうことかぁ。。。」って納得したことのひとつに、

 

河合隼雄さんの

 

イエスを最も深く理解していたのはユダである

 

という話があります。

 

ずいぶん昔に読んだエッセイか対談本に書かれていた話で、

本の名前も忘れてしまったし、表現もこの通りではなかったけど、そんな感じの内容。

 

ユダはイエスを「裏切った」のだけれど、

それは、ユダだけがイエスの使命を真に理解していたから、その役割を担えた。

 

という内容だったと思う。


 

これを読んだとき、私は28歳くらいだったかな。


え?


って思って、

理解できなかったから、覚えてる。

 

 

私は子供の頃から感受性が強いと言われて育って、

とにかく、何かを「読む」ことは得意だったので、

読んで「分からない」文章ってあまり出会ったことがなかったのだけど、

これについては、分からなかった。

 


河合隼雄先生が言っているのだから、

重要な「何か」について説明しているのだと思うけれど、

「何について」「何を伝えている」のか、

さっぱりだった。

 

 

今は、分かる。

そして、この点を指摘した河合隼雄さんって

やっぱりすごいなぁ。。。って思う。

 


数年前に、私をどん底に突き落とした彼は、

私にとっての「ユダ」だ。



それまでの私は、

本物の怒りも、憎しみも、嫉妬も知らない、

エデンに居たようなもの。


色々あったけど、

ホヤホヤと幸せに生きていた。



悪徳が良いというつもりは全然ない。


そうではないんだけど、

あの一連の体験を通して、

私の感情も、魂も、自分への愛情も、

一気に目覚めた。



現実って、地獄だと思う。



絶望してる訳じゃなくて。

事実として。

厳しいところ。


食べなきゃ死んじゃうし、

怪我したら痛いし、

家がなければ寒い。

心から愛する人間が突然奪われることもある。


そういう、リアルな手触りや事実を、

爆弾みたいな痛みによって、

初めてしっかりと感じられたと思う。



そして、

「私」の根底を破壊されたことで、

その暴力と同じスケールの、

激しく大きな愛にも目覚めた。



その愛って、自分への愛。



この世に生まれてきたのって、


自分への愛に気づくため


だと思ってる。

ただそれだけだと思う。



ともすれば、

気づくことも考えることもなく人生を終えたかもしれない、その命題の核心が、彼との失恋を通して露になった。


(そして、その核心にまつわることを、

おそらくあらゆる権力は隠して、利用してきたことも)



暴力を肯定してると誤解されそうで

書くのを躊躇してたんだけど、

この仕組みに気づいたとき、圧倒された。


そして、

この世はなんて切ないんだろう。


って思った。



ユダは、

イエスの宿命のスイッチを入れた。



私を傷つけた彼とは、

死んでから、再会するんじゃないかな


って思ってる。


でも、今生では、

許すつもりなんてないよ。


私の人生に、

悪役として現れてくれたのだから、

存分に、憎みきろうと思ってる。


(※行動はしないよ。心の中の話。念のためドキドキ)


いつか、そんなのどうでも良くなってるかもしれないけどね。



喜びも、憎しみも、

宇宙から見れば、きっと同じ。


すべて、感じ切る勇気を持てますように。