日本へ帰り、日常と現実に襲われ、就職活動が始まりました。

あの日本の就職活動です。2012年はまだまだリーマンショックの影響が

あり景気は良くありませんでした。

私は全く就活の準備ができておらず、筆記はほぼ落選、webは全部友人にやってもらい

ましたが、全滅しました。

ただそれでも最終面接に何度か辿り着いたのですが、そこで落ちてしまうのです。

かなりの絶望です。一社の最終でかなり不当な落とされ方をされ、やる気を削がれ、

あまり積極的な行動もできませんでした。

そんな感じでいつのまにか夏休みになり、たまに面接で進み、最終的に不合格。

厳しい。

 

ある日スペイン語の教授の佐藤先生(ゼミの先生でもある)と話をしていた時に、その人はメキシコに長く

いた人だったので、「メキシコとかで仕事できないですかね?」と聞きました。私の記憶ではその時はあまり良い返事が得られなかったはずです。 後日その佐藤先生から「貴方の言う通り、メキシコでは仕事があるみたいです。今キャリアセンターに求人来てるから行ってみなさい。」と言われました。

それまで実際にはメキシコは頭の中に一切ありませんでしたが、急にその可能性が具体的なもの変わりました。

キャリアセンターに行き、求人票を見せてもらい、連絡先に連絡し、スカイプの面接が決まり、

面接し、その場で内定を貰いました。

これだけ苦労した就活も、こんな風に終わりました。

 

遂にメキシコ行きが現実になったのです。

めでたし、めでたし

スペインに着く前に、真面目な性格なので、かなり勉強していきました。

大学で購入した教科書を使ったり、市販の評価の高いものを使ったりして

基礎力はかなり高かったはずです。これについては別の機会でお話ししましょう。

 

スペインでは、半日を語学学校で勉強、その残りはフリーなので今思うと

ありえない幸せですが、ぶらぶらしたり、地元のサッカーチームに所属したりの

日々でした。生活は最初の3ヶ月がホームステイで残りがアパートのシェアです。

 

留学で大切なのは友達作りですが、

こんな時に役立つのがサッカーで地元の2チームとアマチュアながらプレーすることができました。

1つは同年代のスペインや友達の南米系メンバーのチームで、もう一つはエクアドル人メインの

チームでした。言葉もうまく扱えなかったですが、みんな良く接してくれたので感謝してます。

 

またレアルマドリードの試合もたくさん見に行きました。当時はモウリーニョが監督で

20日で4回バルセロナとの対戦があったシーズンですが、その内3回見ました。

チケットは転売ネットからの購入で約450ユーロ(当時5万円くらい)でした。

 

そんな人生の楽しいこと、非日常に溢れた生活も勿論終わりが来ます。

海外に住むと楽しいこと、辛いこと両方当然ありますが、自分にとって特別な一年、

スペイン滞在は2011年8月に終わりました。

大学は一年休学していたため、大学3年生から再スタートです。

ただその時の私の希望は再度スペインに戻り修士の勉強をすることでした。

しかし日本へ帰ると両親は「就職して、働け、自分で稼いでなんとかしろ」と言いました。

今思うと正論ですね。なぜなら本当はスペインで修士の勉強がしたいというよりも

ただ現実から逃げたいだけだったので。

 

続く

 

大学に入学し、特に派手さの無い生活の始まりです。

割と真面目に勉強し、仲間とサッカーやフットサルをする、

家で暇をする毎日です。

 

特に何をするでもなく、長期休暇はヨーロッパへ一人で貧乏旅行しました。

大学2年生の夏には初めての一人旅で念願のスペインに行きました。

すごく緊張しました。リュック一個で1ヶ月です。2回野宿しました。寒くて死ぬかと思いました。

辛くて早く日本へ帰りたかったのを覚えてます。

ただ我がチームのRealmadridの試合を見ました。

2009年でcristiano ronaldoやkakaの初公式戦でした。興奮しました。

 

そんな退屈な日々と長期に行く刺激的な旅行をしているうちに大学3年生になり

留学をするなら今しかないというタイミングです。

なんとなくアルゼンチンも候補として挙げましたが、割とあっさりとスペインに落ち着きました。

滞在する街はマドリードかと思いきや、バレンシアという地中海の街に決めました。

理由は何か?

 

それは都会よりも適度に田舎、日本人がいない街でスペイン語学習に専念するためです。

2010年8月遂にスペインに出発です。

随分現在と関連のある日々に思えますが、まだまだ遠いです。

 

続く

 

スペインに行くことが目標にはなりましたが、特に生活は変わりません。

サッカーをし、高校受験のためにも猛勉強しました。

そして高校受験を終えた時に初めてスペイン語の教材を買いました。

15歳でした。

 

勿論その教材は一度も使うことなく終わるのですが、(一応今も持っている)

高校でも公立のある強豪校でサッカーを続けました。

部員が全員で120人ほどいる部活でなかなか厳しく、結論サッカーは

うまくいきませんでした。

2年生の秋に大してやる気も感じておらず、また将来についての不安(特に勉強)もあり

退部してしまいました。

 

そこで将来どんなことをしたいか?大学でどんな勉強をしたいかについて考えるようになりました。

其の一で書いた通り、私には4つ上の兄がいるのですが、彼が大学時に1年間スコットランド留学をしており

その影響もあって、是非海外へ行きたい、スペインに行きたいと意識するようになりました。

 

そこで外国語に強い学部のある、某大学を志望校に定め、1年ほど勉強し、無事合格することができました。

学部は国際教養学部という名の外国語、スペイン語が学べる学部です。

少し現在に近づいて来ました。

 

続く

 

 

こんばんは。queretaronet のteteです。

 

今回は私がどのようにメキシコへ辿りついたかのかを

お話しします。

 

私は平成元年に愛知県名古屋市で生まれた男性です。

その後も愛知県で人生の大半を過ごした純愛知県民です。

(かといって特に愛知に思い入れはないですが)

 

幼稚園の時に4つ上の兄の影響でサッカーを始め、その後の

人生の中心はサッカーという生活を送りました。

 

地域のトレセンと呼ばれるチームに選べれたり、県選抜の選考を

受けたりとそれなりの選手ではありましたが、大して芽は出ませんでした。。

 

ただ12歳の時にテレビでReal Madridの試合を初めて見ました。

それまではせいぜい地元の名古屋グランパスの試合しか見たこともなく、

本場のサッカーというものには縁遠かったのですが、たまたま当時BS7で放送していた

あるリーグ戦の試合です。

 

そこで衝撃を受けました。何よりテレビ越しに伝わってくるスタジアムの壮大さです。

それ以来私はかなり熱狂的なmadridistaです。(2001〜2002以降)

ほとんどの試合をリアルタイムで完成しております。

そしてその時に決めました。必ずスペインに行きこのスタジアムで試合を見ると。

そして私の夢はスペインに住むことに決定しました。

 

続く