quella@カラオケです
ピッコロ/フルートの練習をしてきました
演奏会まで今日を含めてあと3日
個人練が出来るのもあと2回くらいでしょうか?
完成していないソロに、譜読みすら危うい曲、、、
果たして間に合うか!?
というかこの状況事態が完全に手遅れであるorz
しかし、、、ピッコロソロ。
曲が決まった半年以上前から、
やりたいやりたいと言い、
練習もそれなりにしてきたはずなのに、、、
全く吹けてない。
たった4小節。
中学生でも軽々吹くような簡単なソロ。
改めて基礎力のなさを痛感している。
そしてそれを身に付けるのにはそれなりの時間が必要なことも分かっている。
ちーん、、、
壁。
話は変わって、『後悔』について。
今日、何年越しかの後悔をしました。
内容はさておき、数年前に決断したことが、今になって後悔に繋がったってこと。
皆、後悔とかしたくないと思います。
後悔しないように、賢く、自分らしく、楽しく、生きてるものだと思います。
でもね、“後悔しないように”という言葉が果たして成り立つのだろうか?
後悔というのは“後になって悔いる”ことであり、事前に予測が出来るものではないのでは?
まあ勿論予測出来る後悔ってのはあるけど、それって陳腐な内容だと思うし、後悔の程度も大したことないのではないかと思います。
僕の中での比較的大きな後悔が3つあります。
今日のも含めて、その決断や行動から、後悔の気持が生じるまでにかかった時間はやはり年単位です。
じゃあその当時の決断や行動が至らないものであったかと言うと、必ずしもそうではない。
今になってみれば、、、って思うことはあるけど、その時はその時で真剣に悩んで、その時のベストな答えを出しているはず。
人間万事塞翁が馬と言うとおり、明日のことですら分からないこのご時世。
一年後、十年後に自分を取り巻く環境や、考え方なんかを予想できるはずがない。
そして必ず、現在と同じはずがない。
だから僕の中では“後悔しないように”というのは不可能であると考えている。
強いて言うなら、“未来に期待しない”“過去を全く振り返らない”という前提の元では成り立つかもしれないけど、そんな人生、つまらないものです。
要は後悔をどう捉えるかだと思うんです。
基本的には何か強い気持ちに対する反応様式の1つです。
その後悔自体を解決するために今何かをする、その後悔と同様の後悔をするような選択を今後避けていく、その後悔を静かに受け入れていく。
人それぞれだと思いますが、僕は一番最後に挙げたような考え方をする事が多い。
未来のことは分からないから、1つの後悔に対して現在、そして未来に対して何か行動を起こしたり変えたりするような事はしない。
過去を否定や解決するのではなく、その時のベストな選択として、良い思い出として、ただ心の奥底に閉まっておくのです。
それが物凄く強い力となって、自分に還ってくる事がある。
今日は帰宅しながらその3つの後悔を少し噛みしめていました。
1つ、、、時間をかけて、今解決しようとしている後悔
1つ、、、解決出来なそうだけれど、大切な後悔
1つ、、、ずっと心の奥で生き続ける優しい後悔
強い気持ち達が並ぶ。
後悔というのは自分が精一杯生きてきた証だ。