店長の「それから。これから。」 -18ページ目

店長の「それから。これから。」

あれからの、続きの続きをぼちぼちお届けしてゆきます

こんにちは。末吉です。

あ、元気ですよ^^

 

 

今日は朝からとても良い天気になりました。やっぱり雨上がりの晴天は気持ちがイイですね。ちなみに昨日は終日雨で、夕方からは雷がなんていうか、空爆のような感じだったんですよ。で、その前の日と前々日はというと、真夜中に二夜続けての緊急地震速報・・。揺れよりも音にビビったよね。ほんとに。

 

なんか、我が街ではいつからかその速報が災害無線でも発信されるようになったようで、これがまたスマホ音以上にヤバいんですよ。「チャーラン・・チャーラン・・プゥウォ!プゥウォ!プゥウォ!大地震が発生しました!今すぐなんちゃらでなんちゃらしてください!!」 と、これが大音量でもって繰り返し深夜の街中に響き渡るわけです。さすがに爆睡中でも飛び起きるわな。

 

でもこれが「奇跡の人(・・だったかな)」のオーディションにおける北島マヤと姫川あゆみだとすると、彼女たちはきっと、この騒ぎや音にもまったくビクともしないんだろ?

 

てなわけで上のは極端な例になるんだけど、自分も願わくばこうありたい、と思うわけです。日々の色々なあれこれに対して過度に反応的であるのはなく、あくまで、どんな時も自身の主体性というものに重きを置ける日常でありたいと。

 

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このGW中の私は、振り返ればとにかくキッチンに立っていることが多かったのだけれど、その外的な理由は「コロナ禍だから」。でも、万人が万人そうする必要などないし、そうしなければいけないなんてこともナイんですよね。わたしは日ごろからキッチンに立つことが好きで、それがまったく苦じゃなくて、むしろ気分が上がる。紛れる。ただそれだけのこと。

 

何か物事をするときに、動機付けとなる理由が外的なものだけだと、たぶんしんどい。なぜならそこに個の自由意志が存在していないから。だからもし私がキッチンに立つことを日頃から苦とするなら、この期間は高確率でウーバーイーツ的なモノを多用するだろうね とか思ったりします。いいんだよ全然それで。むしろ、それで。

 

ただでさえしんどいこの期間、さらに自分を苦の道へ追い込んでどうするのだと。みんながやってるからなんて、そんなもの日々の公衆衛生と外出自粛だけで十分じゃないか。もう十分、みんなよくやってるよ。頑張ってるよ。ならばせめて、その他については自分の思うように好きなように暮らしていたらきっとそれが一番いい。

 

先日、粗大ゴミの預かり場に長蛇の列、というニュースを見てわたしは「あぁ、いいな~!」と。まぢで私もやりたい。100キロまで分別なくどんな不用品でも一括まとめて500円で引き取ってくれるって、最高じゃないですか。外注したら3トントラック一台分で数万円ですよ。それでもありがたいとか思ってたまにググったりするんですけど、これがなかなか実行に移せない。こんなに時間があっても です。

 

面白い料理があって、それを実行に移すのはいとも簡単で早いのだけれど、不用品の処分となるとこれがなかなか重い腰が上がらない。銀行を辞めたら奥の部屋の膨大な段ボール書類や不要なOA家具を一挙に処分してやろう やろう・・ と思いながら気が付けば1年が過ぎてしまいました。

 

だけど、いまのいま取り掛かったら、たぶんそれはストレスなんです。私にとって。なぜなら、どちらかというと苦だから。やりたいけれども前のめりに好きってわけじゃぁないんですね。基本的に。その行為が。

 

ま、そんなわけでですね、例えば料理にしても、小さじ1とか大さじ1/4とか、だし汁って何ℓに対してどんくらいの何よ!!とかの経験や知識で、さらに大した興味関心もなく挑むとすると、使命感にかられるだけでつまんないしめんどくさいんですよ。ヒトが何かをするときに必要なことは、外的あるいは内的な要因となるものがある程度強力であること。ただしそれが外的な事由だけによるものだと「やむを得ず」となり、自由意志が備わっていれば「したくてしている」が心のメインとなれる。

 

これを機に、という意味合いで言うのなら外的要因は良い意味でひとつの大きなきっかけに違いない。料理は基本苦手だけど、実はやってみたいし、苦手意識を克服したい!だとすれば、それは自由意志が備わっているからうまくいく。失敗はしても気分的にうまくいく。出来栄えよりも何よりも、やりたいことを思うようにやれていることが大事。わたしはそうありたいです。そうすれば、殺伐となんてしない。焦りもしない。穏やかであれる。優しくもあれる。いろいろ不便だし、大変だけど、私の気分や心は常に私が決めるのだ。良くも悪くも。

 

jewelryは、少なくとも私にとっていつ何時も不要なものではないです。してくところがないだと?持っててもしょうがないだと?あくまでそれは誰かにとっての価値観であり、私にとってはそうじゃない。でも、決して強要もしない。料理もそう。毎日キッチンに立つのが楽しい人間もいれば、苦痛な人もいる。ヒトはそれぞれの立場からそれぞれにモノを言うけれど、どの時代であっても、誰であっても、きっとそこに100点なんかない。薬にしたって大きな効能はあれど多少の副作用もある。だから、最終的には個の自由意志というものが何より重要だと思うのです。それがどんなであっても 少なくとも私はこれでいいのだ、これがイイのだと、心から思えるように。

 

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最後に、料理を載せよう(・∀・)

テーマは、「自分が外でもきっとこんなの食べたい!を作る」

 

 

棒棒鶏冷麺

 

 

豚の角煮

 

 

花巻(中華風蒸しパン)

 

 

ひじき入り焼売

 

 

ピザトースト

 

 

グラタン

 

 

鶏モモ肉の赤ワイン煮

 

 

肉じゃが

 

 

たけのこの土佐煮

 

 

タリアテッレ ラグーソース

 

 

海老とタコと温野菜のサラダ

 

 

ロールキャベツ

 

 

母の畑で取れた野菜をふんだんに使いました。ありがたいね、今はさらに。それではまた☆