Islamic State の日本人人質事件について、
まず亡くなられた湯川さん、後藤さんのお二人に謹んで哀悼の意を表します。
理由が何であれ、同じ日本人が外国で拘束、殺害され、無念の死を迎えたと思うと、
本当に残念でなりません。

こうした事件が起きると必ず報道で言われるのが
「自己責任」という言葉でしょう。
2004年にイラクで日本人3名が誘拐され、最終的には解放されたけれど、
その際解放を望む家族へのマスコミの過剰な報道と、解放後に再びイラクで支援活動を再開しようとした元人質の何名かに対して政府が「自己責任で」というような表現をしたことがきっかけとなって、この手の事件が起きるたびに聞かれるようになりました。
今回の事件では、支援プラスビジネス活動目的でシリアに入った湯川さんと、
ジャーナリストである後藤さんという立場としてはそれぞれ別の二人が拘束されました。
戦場ジャーナリストは誰もが知るように、死と隣合わせの仕事であり、仕事とは言え、本人の使命感や情熱のみで成り立つ仕事です。彼らはもちろん現地の言葉に精通しているだけでなく、いくつものパイプやコネクションを持って、それでも何かあれば最終的には誰にも守られない裸の状態で仕事をしているわけです。一方、湯川さんのような人は言葉はきついですが、観光客とさして変わらない状況だったと思われます。そんな中で二人が出会い、友人として後藤さんは湯川さんを助けるためにシリアに入ったということなので、完全に「こりゃ自己責任でしょ」と言いたくなる気持ちは分かります。
ただ、それを同胞である日本人に向けて発する日本人には、「人様にご迷惑をかけた」とか、「家族より仕事を優先せざるを得ない社会」というとても日本人的な思想が反映していると思うのです。
オーストラリアでは家族より仕事を優先した時点でその人の責任という意味での「自己責任」という言葉を使います。私の主人も含め、殆どのオーストラリア人は仕事のために家族を犠牲にするという考えを持っていません。例えば戦場ジャーナリストのようにその仕事が特殊であれば、それはその家族の中で話し合われているべきであり、それ以外は論外なのです。
その意味で、後藤さんの実のお兄さんがこれまでの経緯についてお礼を述べ、後藤さんの仕事を讃え、それでも「弟(健二さん)の行動は軽卒だった」とおっしゃっていたのが、本音を伺えたようで共感できる一言でした。
後藤さんはジャーナリストとしてはある意味優しすぎる人だったのではないでしょうか。

ご冥福をお祈りします。

BBCが後藤さん人質事件について海外の意見をまとめたもの