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4年ぶりのブログ…

最後に書いたのは

2017年10月ごろ…?


ある、今お世話になっている方との話の中で

そろそろあれを開こうかと…

思った…。



2018.1.26に

その時の気持ちを後日残そうと

ある、お通夜の夜に開いて保存だけしていて…


今日は…

2021.11.27…

来年1月26日がきたら4年になる

父が亡くなった日。


人生で初めて生身の人間に

心臓マッサージをした。

日頃、心臓マッサージやA E Dなどの

訓練をよく受けていたけれど

実際にしたことはなかった…

それが初めてが父だなんて想像もしなかった。


最愛の父を…目の前で横たわり

ゴム人間のような父を半狂乱になって

心臓マッサージをした。


1人にしないで!と…


「一心不乱」に胸に圧をかけた。

その時一瞬…「一心不乱」って

こう言うことをいうのかと

思った記憶が残っている。


救急隊に離れてくださいと言われても

父から離れられず、引き離されて


まだ目の前のその人物が

父であると信じられなかった。


病院に運んでも

気がつきましたよ!と看護婦さんの

安堵する声がそのうち届くと信じて…

その場にいた誰もが信じていて


先生から…

自力で心臓はほとんど動いていません

と言われても、笑いたいくらい


あの鉄の心臓の持ち主のパパが

自分で動いてない?

なんなんそれ?


思わず先生に

「父は11歳離れた母の年齢を言って

ごまかしても通るくらいの人です

体力も気力も十分あるから

絶対助けて❗️❗️」と


でも…先生からは

三本ある大きな大切な冠動脈のうち2本が

もう…おそらく数ヶ月前からつまっていて

この状態で今まで生きていたことが奇跡です

しんどそうな兆候はなかったですか?

と言われて…


遊び人の父に対していつも

遊びすぎだの歳のせいだのと

取り合わなかった私たち家族に

後悔の念を抱かせた先生の言葉だった

翌朝、だんだんとさらに

心臓が弱り機械を外したら止まると言われて

決断をせまられ兄がもういいん違うか?と

言ったけれど、その時状況がつかめず

いやともいいともいえなく私はかたまった

ままだった…

一晩中待合室にいて

時々父のところに行き

早くー起きてーと話しかけていた。

起きると信じて疑わなかった。


だめならもっともっといろいろ

話しかけておくべきだった

もっとあったかい手を握っていてあげたかった

もう冷たくなるどうしたらいいのかと

混乱してしまった



決断を迫られる前の

病室からみた風景…

眺めながら

『パパこれ見て家に帰ろうよ』と

まだ思った…




兄に、社長を連れて外に行っていろと

言われるままに病室を出た。

社長は顔色悪く「じーちゃんはどうなるの?」

と言って震えていた。

抱きしめてなだめたけれど

大丈夫と言う言葉は嘘に近かった。

なぐさめてほしいのは私だった。

社長は私に強く抱きついて震えていた。


最後のよくある「ピー」音は

聞けなかった聞きたくもあり

聞きたくもないそんな感じで

気がつけばストレッチャーに乗せられた

綺麗な顔でスーツを着た父がいた。


下の兄が、葬儀屋さんと一緒に

乗り込むことになった。


父の遺体は家にもどさず

そのまま葬儀場にいくことにした。

後で聞いた話しで…兄は葬儀屋さんに頼み

すぐ近くの家の前とそのすぐ近くの

父の工場を回ってもらったと言う…

父にはもう一つ経営しているところがあった。

私と妹が任されていたラブホ…

今は私はそこをやめて妹が1人でしているけれど

そこは少し遠いから行ってもらうのを

やめたと言っていた。


あれからもう4年近く経つ。

まだ昨日のように思い出す日に何度も父を

思い出す。


そしてなにかあれば

私は父にLINEをしている


亡くなる3週間前に

ガラケーもちながら

彼女用にスマホを買った…


「やまだ」と言う名前の人から

いきなり…元気?とLINEがきて

それが誰だかわからず

スルーしていた


亡くなる10日前

私が仕事場の駐車場で車の鍵をしめこみ

父が業者に手配して私を乗せて駐車場まで

2人で少しドライブをした。


80歳超えてなお、大きな

トヨタのアルファードを乗りまわし

大阪まで彼女に会いに行く程の父。


業者さんを待つ間うれしそうに

スマホを見せて

LINEの打ち方を私に聞く…

あげく打てないからあきらめ

私が代打チーン

こんなことばっかりもうやめなよ❗️と

言ったけど、それでも嬉しそうな父に

可愛いなと

思ったのを記憶してる。


スタンプの打ち方を教えたら

彼女に連打していた

うれしそうなそれを眺めて私は


『パパ…あとどれくらいこうして

  一緒にいられるんだろう

  なんだかわからんけど

  もうあまり長くない…

        そんな気がする』


そう思った10日後…

夜に甥っ子を迎えに行こうと

靴下を履くのにベッドのへりに

座ったところ…胸がくるしくなったのか

そのまま後ろに仰向けに寝るように

倒れたようだった


お風呂に入って頭にシャワーを

かけようとした瞬間

魔女っ子が急いで電話をもって

妹から!!と

「じーちゃん倒れた!」と…


そのまますぐに飛び出し

実家に5分で到着して

ベッドに横たわる

父に飛び乗った…


1人にしないで!と

心の中で何度も叫んだけれど

もう2度と優しい父の声も笑顔も見れない。


45歳をすぎても

店のスタッフに

mieのことは可愛くて仕方ない

目に入れても痛くないと

話していたらしく

スタッフからいつもからかわれていた。


お葬式の時来てくれたスタッフ達

そんなことを思い出してくれていたのか

みんな、喪主の母の横に座る私の肩に

そっと手を優しく置いて行ってくれた

『元気出して』と…


お葬式も済み家に帰って

父の事務所の机にすわり

そのままの机をながめた


タバコのすいがら

飲まれたコーヒーのコップ

書きかけの書類

鼻をかんだであろうティッシュの残骸

全部が愛しく

全て残しておきたかった


亡くなる数分前までここに座って

母に隠れてスマホをいじっていたであろう

父の携帯をみつけた…

開くとLINEがやまだというなまえで

あったことに気がつき、やまだは

パパだったんだ…と

私に送られた

元気な文字は妹が打ったのものだと判明した。


その時私は

「ちゃんちゃこよ」と入力して

自分に送った


ちゃんちゃことは

mieちゃんちゃこ!と私を小さいときから

父はそう呼んでいた

そのうちmieを抜いて、ちゃんちゃこと

呼ぶようになっていた

私が実家にいくと

「お、ちゃんちゃこ!来てたんか!」

とその優しい父の顔を今も思い出すと

涙が出る…


病室で父の手を握りながら

早く起きてといのにながら 

いつもみたいに


「お!ちゃんちゃこ何泣いてるんな!

 お父さんになんでも言えよ!」


いつもいつもそう言って私に笑顔を

沢山くれていた。

父は常に私にこう言ってくれていた



 どんな辛いことがあつまても

 絶対死ぬなよ、この世で起こったことは

 必ずこの世で解決できる!

 解決できるから、お父さん信じて頑張れ!

 待てば海路の日和あり…や!!



そう言って私を励ましてくれた。


「待てば海路の日和あり」

 

父の口癖でした。


既読にならない父のLINEに孫のことやいろいろ

打って送っています。

父のところに届いてくれていたらいいなと…


今辛いことが正直沢山あって

こんな時パパならどんなに

解決してくれたかなぁと

ファザコンまっしぐらの私。

いつでも飛んできてくれたパパ…。


でも父の言葉思い出して

毎日毎日辛いことも耐えて

頑張って…


何も言えない何もできない

父はきっと励ましの例のことばを

私に送り続けてくれていると思う。


孫達…特にじーちゃんの宝物と

言ってくれた魔女っ子は

やはりあなたの孫さながらに

パパの血を受け継いで

パパを地で行く感じで

はちゃめちゃですよ!


でもみんなみんな元気です

それもパパ譲りだと思う…


まだまだ、こんなに涙溢れる

全て運命の中にあるとはいえ…


7歳で母が出て行ってすぐ新しいお母さんがきて

それでも父を憎いとは思えず

大好きだった。

お父さん死んだらお前は1人ぼっち

になるからお父さん死ねやんって

よく言っていた。


50を過ぎてもまだなお

父の愛に包まれていると感じる。

本当に私にとって

ゴッドファーザーでした。



パパ!ちゃんちゃこは

今日も明日も頑張るよ!

1人じゃないよ心配ないよ❣️


魔女っ子も

社長もすごく頑張ってるよ!!

社長は最近ほんとによく頑張ってるよ!



昨日は、月命日だったので

今日は家族4人でお墓参りに行きます。

パパの大好きな、ビスコを持ってラブラブ


人間はある日突然消えてなくなる

その日のために生きていると言っても

いいのかもしれない。



『パパの備忘録』2012.11.27