大袈裟なため息
舌打ち
乱暴な生活音
唐突に始まるそれは
夫が自分の機嫌を自分でとることができなくなった合図。
他人のトラブルに対して
冷静で客観的に対処できる夫も
自分の感情の処理には不器用だ
恐らく愚図る赤子をあやすように実母が接してきたこと
それに加えて、「私が何かしたんだろうか」と不安になり
母親的に接してしまってきた私の自己肯定感の低さ、そして
この人たちに嫌われることはないだろうという彼の安心感が
彼のそれに拍車をかけて今まできてしまったような気がする。
「不機嫌な態度」を取ることが目の前の問題をやり過ごすための便利な手段。
不機嫌になって、誰かの日々の小さなアラを指摘し、認めさせれば
自分のイライラの問題をすり替え、ひとときプライドが保てる。
問題と向き合わずに済み、振り上げた拳の体裁を取り繕う必要もない。
そういうことを経験的に知っている。
お前だって。と言う。
私だって鬱になって散々迷惑をかけたし
横にいて私のイライラを感じることはあるだろう。
でも決定的に違うのはそのイライラのバーの低さだ。
考えて欲しい。
上の子がこの世に生まれて初めて信頼関係を結ぶ大人が私たち2人なのだということ。
そして悲しいことに唯一の2人なのだ。
だって何かのとき逃げ道となるじいじもばあばももういないのだから。
その信頼関係を結ぶべき大人がそんなに不安定な態度を見せていいはずがない。
具体的に何かはわからない。
でも、引き換えに上の子の大事な心から
未来に対して信頼に関係する何かしら大きな代償を支払っている気がしてならない。
夫は気づいてはいるけど止められないのだろうか。
いつもは踏ん張っている夫でも
そりゃ自分の人生に怒りを覚える日だってあるに決まってる。
今回の夫の怒りがそれなら、それは私も同じだからよくわかる。
でも上の子には何の罪もない。
希望でいっぱいのキラキラの日々を生きてる。
以前夫が言ったように、自分たちが絶望したからって
こどもにそれを共有するわけにはいかない。
私も本当にそうだと思ったから演じきるつもりでいる。
普通だったら表面化しない潜在的問題の数々
障害児が生まれてからいろいろ鍛えられることばっかりだけど
上の子のためにどうか踏ん張ってほしい。