まるで遊冶郎だ、と思う時が男の長い人生の或る一日に必ず訪れる。これは思考と行動の不一致から生まれる。どういうことか。想像してみよう。
今日は土曜日で君にはやらねばならぬ仕事が残されている。お日様はビンビンに光っていて空は気が狂うほど青い。外からは雀やら何やらがジュクジュクと鳴き腐っており、夏のイエイエな感じが窓から見えるチャンネーの太腿丸出しの衣装から伝わってくるんだ。そんな時、君は陰気に部屋にこもり粒々粒々と、まるで思春期の中学生のように物をかきまくらなくてはならない。ねばならない。そんな時、頭蓋のうちに天秤が生じてくる。それは、やるべき事とやりたい事を測る天秤だ。左側には仕事が乗っていて右側にはビアが乗っている。仕事よりビアの方が楽しいのは自明だから、どうしても天秤は右側に寄って来る。しかし、仕事をやらないと自分自身が崩壊し最終的には路傍に窮死、行路病者として葬られる事になる。だから、意志の力で天秤を左側に寄せようとするが、努力むなしく、冷蔵庫から缶ビール500mlを持ち出し、グラグラになるまで飲みまくる事になるのだ。これこそが、男の或る一日に生じる遊冶郎感覚である。だけれども、社会に適応している男は日曜日に二日酔いの体をモジモジさせながら、土曜日にやるべきだった仕事を日曜日に片付ける。明日は仕事だなあ、休む時がないなあ、なんて思いながら。社会適合者はこのように絶妙なバランス感覚を所有している。
『遊冶郎大会』はバランス感覚を欠いた社会不適合者の苦しい毎日をセンス・オブ・ヒューモアーを交えて闊達に描いた書である。頭蓋の内の天秤がぶっ壊れた人間はどのような日常を過ごしているのか、よおくわかる書である。どんな日常か。それは楽太郎珍丸『遊冶郎大会』を読んで是非とも味わってもらいたい。遊冶郎の三昧境へ到達するだろう。