「石橋を叩いて渡る」は、本来、
「用心に用心を重ねて慎重にことを行う」意味で、
「用心深く行動する」ことを肯定的に捉えています。
しかし、「石橋を叩いても渡らない」となると、
度胸がないという意味になりますし、
さらに、「石橋を叩いて壊す」となると
「用心のしすぎで失敗する」という意味になります。
自分自身、「失敗は怖くない」というマインドセットはかなりできていたつもりでしたが、
「何か大事なことを見落としているかもしれない」という無意識のブレーキが働いていたことに最近気づきました。
厄介なことに、その疑いにはきりがないのです。
だってそうですよね。
「見落とす」というのは、見えていないから見落とすのであって、
あそこはチェックした、ここもチェックした、
もう大丈夫だろう・・・といくら用意周到に振る舞ったつもりでも、気づいていないことには気づかないし、見落とす時は見落とすのですから。
そこで、
「用意周到に慎重に準備した。これでOK。橋を渡ろう。」と前に進む行動を自然にできればよいのですが、
それが難しい時、
まだ見落としていることがあるかもしれないと見えないものを探し続けてもきりがないことを理解し、どこかのタイミングで自分で決めて前に進みましょう。
そうしなければいつまでたっても橋は渡れません。
そしてもう一つ、
「何か大事なことを見落としているかもしれない」という無意識のブレーキには、原因になった体験があります。
・何かを見落としていて失敗した
・自分では気づいていなかったことを人から指摘されて恥をかいた
・良かれと思ってやったことが裏目に出て人を傷つけた
こんな体験、思い当たりませんか?
私は、「あーあの時やっちゃったなー」と心に引っかかっている出来事がいくつか浮かび、
「気づいていなかった」「見落としていた」「しまった」とショックを受け、悔やんだことを思い出しました。
でも大丈夫です。
その原体験の出来事を様々な視点から見直すことで、
決してマイナス面だけではなかったこと、
気づいていなかったからこそ自分にとっても相手にとっても好都合もあった事がわかり、
もしもっと早く気づいていたらお互い楽しい時間を過ごせなかったり、もっと気まずかったりしたであろうことが腑に落ちました。
あるいは、相手も、その反応のパターンを変えないと他にもいろいろ大変だったことが見えたりしました。
また一つ、人生を複雑にして結果を遠ざけるからくりに気づけて嬉しいです。
長くて回りくどかった言葉がシンプルになったり、
考え過ぎずに行動できたり、
変化の兆しが感じられるのが気のせいでないと良いのですが!
(え?この文章まだわかりにくい? はい、より一層精進します。)
こんな気付きでより自分らしく輝く人が増えたらステキ!![]()
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