旅館に戻ると忙しなくご飯を勧められた。

「電気無いから明るいうちに食べて」

翌朝には復旧しているだろうと思いその日は寝た。

そんな淡い希望は、翌朝にはものの見事に裏切られる。

まだ停電。

「まじか…。」

こんな経験はしたことが無い。因みにこの間夜中もずっと外では非常放送がずっと流れ続けている。

現場事務所に行っても仕方が無い。でも、来いと言われているので行くしかない。

案の定中止。

もしものためにということで、すべての車両の燃料を満タンにする。

ここで、うちの会社6人にどデカイ難題が突きつけられる。

仙台に、帰るか。東通に、残るか。

この段階では、道路状況の情報はなかった。

高速道路は地震だから止まっていることは確実だし、震度7が観測されているのが栗原地方ということだけで判断するしかなかった。

家族に相談するか。いつかかかるか分からない電話をかけたところ、嫁さん、母親がまったく同じことを言ってきた。



「帰ってくるな」



仕事も中途半端でしょ、こっちは何とかなっているから、大丈夫だからということだった。

そして、道路状況が分からない状況で全員戻るのは危険すぎる。

戻っている最中に余震がおき、全滅ということも考えられる。

苦渋の決断を下した。下すしかなかった。

家族と連絡が取れている3人は残る。取れていない3人は帰る。

そして自分は残る3人の中に入ったいた。

仕方が無い。帰りたい気持ちをぐっと抑え、仙台に戻る車を見送った。


客先を離れたところで行くところはない。

現場事務所に戻るか?

「あ、集落事務所に行こう。何か情報があるかもしれない。」

集落事務所は避難場所だったはず、なにか情報があるかもしれないと思い向かったが、事務所の人の顔を見た瞬間、事務所の人が泣き崩れそうになっていた。

「どうしよう…。」

そりゃそうだ。ご主人は原発の仕事。定期点検中とはいえ発電所の中にいる。

「一回家に戻ったら?そのうち会長(地区代表者)も来るだろうから。」

そう言うしかなかった。

携帯も一向に繋がらない。仕方なく現場事務所に戻ることにした。

現場事務所に戻ると続々と作業員が戻ってきている。

「今日は解散。明日は一応事務所に来て。そのとき判断するから。」

上の空でそれを聞いていた。

携帯が繋がらない。連絡が取れない。全員苛立っていた。

あ、繋がった。

嫁さんに繋がった。2台持ちしているうちの片方に繋がった。

無事を確認したところで、母親に繋がった。こちらも無事。

ほっとしたが、その次の言葉がすごかった。

「津波が来ている。火力発電所が…のまれた。」

は?火力発電所が?のまれた??

仙台から来ていた作業員全員、血の気が引いた。

津波が来たらしいという情報は確かに入っていた。

どうやら大きいらしい。そんな不確かな情報も入っていた。

しかし、火力発電所が巻き込まれるなんて聞いていない。

しかし、母親は目の前で見ている。ありのまま言っている。

その火力発電所に先輩がいるはず。これはやばい!

山元に実家がある先輩が慌て始めた。ゆりあげ近くに彼女がいる先輩も慌て始めた。

うそだろ…。ところでうちは大丈夫なの?

母親に尋ねるといつもの声で返ってきた

「うち?うちは全然大丈夫。」

あっけらかんとした声だったため、なんともいえない複雑な気分になってしまった。





小田野沢地区は小さい集落だ。

しかし、東通村では3番目に多い集落。近くには東通原発もありそこに関わっている人が多く住んでいる集落だ。

「郵便局の向かいの家に行ってくれないか?機械がうまく動かないんだと。」

役場にいる上司からの連絡。

数日前、違う家で動かない機械にはまり中身を十分理解した自分は修理班に回っていた。

「あ~あ、またIPアドレスの間違いか?」

たまたま近くにいた先輩と合流しその家に向かった。

数分後到着。家の人は外に出て待っていた。

「ごめんね~」

そういいながらハイエースから降りた瞬間。揺れ始めた。

「ん?地震?あ、車のエンジン切らないで!ラジオつけっぱで!」

過去散々地震を体験していた経験がこんなところで生かされた。

まだ車の運転席にいた先輩は、ラジオのボリュームを上げた。

「震源は宮城県沖…」

ラジオは淡々とそう言っていた。

「ようやく来たか宮城県沖地震…。っていうかこんなときに宮城にいないなんてついてないなぁ…。」

と車につかまりながら想っていた。

が、揺れがなかなか終わらない。

「おかしいぞこれ…」

ほかの家からも続々人が出てくる。

そうしているうちに信号の電気が切れた。

あ、停電と思い、ふっと向かいの郵便局の隣を見ると、つい先日旦那さんを亡くし憔悴しきったお婆ちゃんまで出てきていた。

「ばあちゃん大丈夫かい?」

どうやらお婆ちゃんは停電になり怖くなったため帰省していた息子に無理を言い外に出てきていた。

そうこうしているうちに揺れが収まってきていた。

停電じゃあ何もできない。お客さんにあきらめることを伝え、とりあえず移動することにした。


2011年3月11日。

「もうすぐ帰れるんすかねぇ」

ここ何日も交わされた会話。

2010年11月下旬から長期出張で青森県東通村に来ていた。

出張前、会社から言われていたことは

「まぁ今年いっぱいだから」

の一言。それがここまで延ばされるのだからたまったもんでもない。

しかも、2011年は稀にみる大雪。1月~2月はなんと毎日雪が降っていた。

初めて体験する地吹雪。見知らぬ土地。

「もういい加減仙台に帰りたい。っていうか帰らせろ。」

会社の人と話すと必ず誰からとなく出てくる言葉。

ただ、自分たちが恵まれていたのは、担当した小田野沢地区の方々が見知らぬ自分たちを受け入れてくれ優しく接してくれたことだった。

そう、この頃には気軽に話せるようになっており近所の兄ちゃんのように扱ってくれていた。

現場は最終段階。機器の試験調整。ミスはほとんどなし。数週間後には仙台に帰れる。

3月11日

青森県東通村小田野沢地区。曇り空。

そんな午後だった。


気がつけば地震から半年…。

前回更新からはなんと!4年。(こっちのほうがすごいわ)


もう半年、されど半年…。

あのときの事をどこかに書かないと忘れそうな感じがする。

久しぶりで長編になるかもしれませんが、

いろいろある話のひとつとしてみてください。