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ゲハ戦争に終止符を。

ゲームのハードの垣根を払拭するがために、あらゆるハードで遊びまくるアラフィフプレーヤーのブログ。
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『自身の限られた生命をいかに有意義に全うするか』

これは神様から人に課せられた最大のテーマだ。
これを全うするため、人は日々四苦八苦しながら、時には喜び、時には悲しみ、怒り、叫び、恐怖したりもする。

私はこの歳になるまで、一番の「恐怖」であり「悲しみ」であったのは、誰もがいずれは訪れる自らの『死』であった。
若かりし日から今までの間、人は死んだらどうなるのか?死んでしまったら何もかもが無くなり、おそらく深い眠りについた状態が未来永劫続き、二度と這い上がることのできない根深い闇の世界が待っているのもだと思っていた。
そのことを思うと恐れ慄き、絶大な恐怖が自分自身を包み込み、壮絶なる悲しみが舞い降りて、私の絶望感を煽り立てる。

しかし、それはある事によって一転する。

それは子どもを授かることだった。

これは神様から許された慈悲の一つで、自身の、また自身に構築されているご先祖様の情報を、遺伝子として別の新たな生命に託す、いわゆる『クローン』としての寿命の延長でもある。
たとえ私自身の肉体が滅びようとも、今こうして目の前に授かった我が子を見ていると、その子どもの数だけ、自身の新たな人生のやり直しが始まっている。

そう、人は死なないのだ。

子孫を反映し続けることによって、私を含むご先祖様方は、何通りもの人生をやり直すことができる。
長男が電車の運転手、次男は弁護士、長女がパティシエ、次女は幸せな主婦…
子ども達が新たに歩む人生は、自身の遺伝子が体験する新たなリスポーンとなるのだ。
さらなる解釈を得ようと考えると、たとえ自身の遺伝子を残さない、残せない場合でも、自身が築いた物の考え方や、自身で悟る人生感を、大切にトレースしてくれる理解者や後継者に託すことによって、これまた人生のやり直しを倫理上行うことが出来ると私は解釈している。

そう考えると、たとえ自身の肉体が朽ちようとも、若かりし日に抱いた「恐怖」と「悲しみ」は、全くと言っていいほど遠のいた存在となる。
また、日頃手にかける自身の『クローン』や後継者に、時には癒され、時には励まされ続けると、私自身にみなぎるエネルギーが、より一層覚醒する。

『家族を大切にしたい。』

そう思うのは自然の摂理であって、何も特別な感情でもない。
延命という自身の欲でもあり、またご先祖様方からの使命でもある。

子どもや後継者のためだけに…では決してないのだ。

その子どもや後継者を含む、すべての『縁』に関わる人々のために、今を精一杯生き、少しでも人生で培った経験を後継に託すことこそが、自身の限られた生命を有意義に全うすることだと、私は考える。

『経験せよ。それを伝えよ。』

これは我が家の家訓でもある。