1789年7/14にバスチーユ牢獄襲撃事件が起こりました。フランス革命の幕あけです。この暴動はパリの大銀行家が裏で動き、パリ市民すなわちサンキュロットたちが絶対王政の象徴と考えられていたバスチーユ牢獄を襲撃した事件でした。この直前、国王ルイ16世が改革派財務長官ネッケルを罷免したことで、パリの大銀行家たちは危機感を募らせ、ネッケルを復職させるために起こした事件です。


 ネッケルはスイス出身の銀行家で、重農主義の経済政策を採用することを目指しました。それは、フランスの財政再建を宮廷貴族などに負担を強いることで実行しようとする政策です。すなわち貴族年金の廃止、貴族が持っていた免税特権の廃止などです。とうぜん宮廷貴族は猛反発しましたが、宮廷貴族の再建策は、大銀行家などの商人層に強制的に赤字国債を購入させるというもので、強制借款制度を実行するものでした。財政破綻直前のフランス政府が発行する赤字国債を買っても、利息を付けて返してもらえるはずはありません。大銀行家たちはネッケル罷免であわてたのも無理はなかったわけです。


 バスチーユ牢獄襲撃事件で(憲法制定のための)国民議会を国王が承認しましたが、これにより事実上絶対王政は終焉したといえるでしょう。この革命的事件の勝者はパリの銀行家に代表される大ブルジョワジーで、敗者は財政再建の負担を担うことになる宮廷貴族であるといえます。