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名古屋外国語大学学長の亀山郁夫(かめやま?いくお)氏は、大学生のときに『罪と罰』を再び体験した。それは亀山氏の後の人生を決定づけるような、充実した深い体験だったという。
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2度目の『罪と罰』体験は、大学3年の夏休みです。学園紛争の嵐が吹き荒れ、それが政治闘争へと大きく転換していくなか、わたしは三畳間の狭苦しい下宿で原書と向きあいました。
ロシア語専攻とは名ばかりで、紛争のあおりでまともに授業を受けることのなかった学生にとってはまさに無謀ともいえる試みでしたが、ひと夏かけてなんとか原書を読み通すことができました。実家に戻ってからは、宇都宮市にある県立図書館に毎日通いつめ、うだるような暑さの閲覧室でこの小説を読み続けました。1日2頁(ページ)がやがて1日10頁ほどの進捗をみるようになりました(それは奇跡の夏でした)。ニューバランス スニーカーそして9月9日(今も日付を覚えています)、まるで奇跡のようにこの小説を読み終えることができたとき、わたしは強い充実感とともに、えもいわれぬ解放感を味わっていました。そしてその経験が、その後のわたしの人生を決定づけることにもなったのです。
同じ作者の『カラマーゾフの兄弟』などと並んで、世界文学史上に比類のないこの傑作は、いわゆる「サスペンス小説」であるとともに「哲学心理小説」でもあり、何より10代半ばから20代はじめの若者が読むべき「青春小説」でもあります。若い読者は、理屈ぬきに、全身でこの小説を受けとめることができるはずです。

読者の魂を鷲(わし)づかみにし、読者が主人公に成り代わる、あるいは主人公が読者の魂を乗っ取ってしまう、そんな「憑依(ひょうい)」する力において、『罪と罰』にかなう小説はない、とわたしは信じています。ですからこの小説は、読者の心の深奥に、犯罪というものの恐ろしさを、傷のように深く刻みこんでしまう力をもそなえているとも言えるのです。
わたしは時々思うことがあります。たとえば、この小説を読んでから何十年か後、過去の経験を夢に見るときなど、実際に殺人を犯した主人公と、小説の主人公にシンクロしてしまった読者とのあいだに、少なくとも体験の深さという点でどれほどの開きがあるのか。
人を殺(あや)めるという行為を、読書をとおして擬似体験させ、限りなくリアルに記憶させてしまう、そんな強烈な力をこの小説は持っているように思えます。逆にそれほどにも危険な小説だということです。しかし、翻(ひるがえ)って考えてみれば、『罪と罰』とは、犯罪者の恐怖と孤独を読者に体験させることで、ニューバランス レディース人間が人間であるためのぎりぎりの境界線を教えてくれる作品ともいえるのです。