ヒルベルトは,類体は | qqwwzxcのブログ

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ヒルベルトは,類体は,不分岐だというのであるが,例の代数函数は何で定まるか,リイマン面で定まる――という,そういうような立場から見るならば,不分岐というのは非常な意味をもつ.それが非常な意味をもつがごとくに,ヒルベルトは思っていたか,どうか知れないけれども,そんな風に私は思わされた.所が,本が来なくなって,自分でやり出した時にそういう不分岐などいう条件を捨ててしまって,少しやってみると,今ハッセなんかが,逆定理(ウムケール?ザッツ)と謂いっている定理であるが,要するにアーベル体は類体なりということにぶつかった.当時これは,あまりにも意外なことなので,それは当然間違っていると思うた.間違いだろうと思うから,何処が間違っているんだか,専らそれを探す.その頃は,ニューバランス1400
少し神経衰弱に成りかかったような気がする.よく夢を見た.夢の裡で疑問が解けたと思って,起きてやってみると,まるで違っている.何が間違いか,実例を探して見ても,間違いの実例が無い.大分長く間違いばかり探していたので,其の後理論が出来上った後にも自信が無い.どこかに一寸でも間違いがあると,理論全体が,その蟻の穴から毀こわれてしまう.外の科学は知らないが,数学では「大体良さそうだ」では通用しない.特に近くにチェックする人が無いので自信がなかったが,漸くのこと1920年に,チェックされる機会が来た.その年,大学教授の欧米巡廻ということで,外国へ往くことになった.その年にはストラスブルグで万国数学会議があったから,その時に持ってゆこうというので,急いで論文を書き上げたが,出発までに印刷が間に合わなくて,後から送って貰ったような状態であった.ところが,ストラスブルグの会議は,戦争の直後,連合国とドイツ側と分離した時代で,それはどうもそういう整数論の話などを持出すには最も不適当な所であった.類体論などに理解を持った人は僕の知っている所では二三人位で,先ずフューター,あれはスイス人だから来ていた. http://www.newbalancejpheya.com/
それからフランスではシャトレという人,その外ではアダマール,彼は問題を理解する.興味を有つか,有たんかは知らんが,問題を理解する人である.まあ当てになるのは,こんな連中だけであった.なんでもあの時,レセプションの晩に,私の近くで,「あの日本人が整数論の話をするというではないか.多分フェルマーをやるんだろう.こいつは面白いぞ」などと私語するのが聞えて,私は苦笑した.会議では15分位の講演をしたけれども,無論,反響も何もありはしない.