昨年誕生日を迎えた時にふと思いました。
定年まで3年をきりました。
これまで、一緒に仕事をしている若い人達や仕事そのものに対して厳しい考えや思いを抱き、自分や周りを追い詰める癖がありました。
生きづらさを抱えながら、自分は何者なのかわからない感覚に囚われながら生きてきました。
少しずつ気持ちが解放され、
家事も仕事も「今日はこれくらいでいいや」
他人の言動を見ても「まあいっか」
定年後は、
今までやりたかった職種にチャレンジしようかな…
体力ないからやっぱり事務系かな?
でもアピールするものがないからパソコンの資格を取ろう!
など前向きな思いが膨らんでいます。
数字を意識したことがきっかけの、自分の中の小さな変化でした。
定年まで3年をきりました。
これまで、一緒に仕事をしている若い人達や仕事そのものに対して厳しい考えや思いを抱き、自分や周りを追い詰める癖がありました。
しかし最近は「定年まであと2年何ヵ月」と月が変わる度にカウントするようになり、すると、今まで執着してきた様々なことがどうでもいいことに思えてきたのです。
もうひとつ。小さい頃から人の顔色を伺いながら行動する癖もありました
生きづらさを抱えながら、自分は何者なのかわからない感覚に囚われながら生きてきました。
私の祖母、舅、姑が72歳で亡くなっており、自分ももしかしたら寿命は72歳なのかなと漠然と考えるようになり
「あと15年で私は死ぬんだ(笑)」
「どうせ人のために頑張って尽くしても結局嫌われてるんだから、あと15年好きに生きてやる」
少しずつ気持ちが解放され、
家事も仕事も「今日はこれくらいでいいや」
他人の言動を見ても「まあいっか」
定年後は、
今までやりたかった職種にチャレンジしようかな…
体力ないからやっぱり事務系かな?
でもアピールするものがないからパソコンの資格を取ろう!
など前向きな思いが膨らんでいます。
数字を意識したことがきっかけの、自分の中の小さな変化でした。