菓子屋巡りの散歩 半蔵門・麹町~神田界隈 | きょうは休肝日?

きょうは休肝日?

すでに休肝日は諦めているのだが、いまさらブログタイトルを変えられない

今回の菓子店巡りは娘も我ら夫婦に同行する。

 

たまたま選んだ道筋ではあるのだが、図らずも「長く愛されるもの」への思いを新たにする散歩となった。

物も情報もあふれ、偶然や思いつきで新奇な物が日々生まれ消えていく一方で、無い無い尽くしの中で身を削って生み出し、忍耐強く磨き続けられたものもしっかりと残っている。そういうもののもつ価値を再確認することとなるはずだ。

 

散歩のスタートは地下鉄半蔵門線半蔵門駅から。

まずは「ローザー洋菓子店」に。創業1932年(昭和7年)年の老舗洋菓子店。田園調布にも同じ名前の店がありファンも多いが、関係については知らない。

美しいブルーのブリキ缶入りの看板商品の「クッキー」は相当前からの予約が必要で、急に思い立った今回は無理。

「その他のケーキはどうなのかな?」とあまり期待を持たずにとりあえず訪問。時間は正午過ぎ。

もちろん缶入りのクッキーはなかったが、袋入りの小さい物はあった。それと古い洋菓子店を覗くといつも買いたくなる「モカロール」があったのでこれも購入した。さい先よし!

ローザー洋菓子店 

このあと2軒ほど比較的至近の店を回る。

まずは「ローザー洋菓子店」から道を挟んでほぼ筋向かい。「きんつば」の店「一元屋」(1953年 昭和28年創業)へ。

 

「きんつば」はそのむかし、「ぎんつば」といったそうだ。形も今のような四角ではなく円かった。京都発祥のお菓子で、刀の鍔の形に似ていたところからつけられたらしい。

江戸に伝わって製法も変化し、「銀より金」ということで名前も変わったという。

 

いまも富山の高岡では「けんつば」といって鍔の文様のついた円い「きんつば」を扱っている店がいくつかあるそうだ。ちなみに「榮太樓總本鋪」のものも円形の「きんつば」だ。

さらに言えば四角の形の「きんつば」の元祖は神戸元町の「紅花堂(現在の本高砂屋)」だそうだ。

 

実は、私は「きんつば」を幾度も食べているはずなのだが、どの店のものなのか気にして食べたことがなかった。したがって、はっきり記憶に残っているのは前述の「榮太樓總本鋪」「本高砂屋」、あとは「徳太楼」「満願堂」「喜田家」、それと先日、さるところでいただいた上品な印象の金沢の「中田屋」のものぐらいだ。

この「一元屋」の「きんつば」、評判を聞いてはいたが、「きんつば」そのものに関心が今ひとつだったので今回初めてとなる。

一元屋

つづいて向かうのは、これもすぐ近く、英国大使館の向かいにある「村上開新堂」

ここは1874年(明治7年)創業の洋菓子店で、まさに日本の洋菓子草分けの店だ。

明治のはじめに村上開新堂初代が国から洋菓子の製造技術の習得を命じられたことが日本の洋菓子の黎明であった。

 

フランス料理とケーキの「村上開新堂」はいまも紹介制をとっているが、店の一角にある当代の名を冠した店「山本道子の店」は購入可能。この日は運良く予約なしで「マーブルクッキー」を買えた。

山本道子の店 

なお、京都の人なら誰でも知っている寺町の「村上開新堂」は気取りのない街のお菓子屋さん然とした店だ。東京の店と関係はあるのだろうが、まずは別の店と考えた方がいい。

 

千鳥ヶ淵 靖国神社方向に向かう。

このあたりに限らず、本日散歩する界隈は、江戸時代は江戸城を取り巻く武家地で、それこそ元の飯田町以外は町民の暮らす町地どころか寺社も少ない。私にとっては寄り道をしたいところがあまりない。もっと南の麹町の新宿通り沿いから散歩を始めれば良かったかなと後悔の気持ちが一瞬よぎる。まあ、でもその代わりお菓子屋さんがあるから。

 

次の目標は九段南の「ゴンドラ」(1933年 昭和8年創業)。

「パウンドケーキ」で知られる名洋菓子店だ。私は他人から見れば偏愛と思われてもしかたがないほどここの「パウンドケーキ」が好きだ。

いつ食べても満足する安定した焼き具合はまさに職人芸。

バターの贅沢な風味もさることながら、マルティニーク産と思われるラムの甘すぎずすっきりとした香りがなんとも心地よい。大人のスイーツだ。

以前は銀座「松屋」の地下の銘菓コーナーのようなところで小ぶりなものなら扱っていたのだが、いまはなくなってしまった。この九段は私にとってはしばしば訪れるにはいささか難儀な場所。このところ少しご無沙汰していた。

ゴンドラ 

さて、ここからは少し歩く。神田神保町へ移動。

途中、昭和23年創業の甘味処「大丸やき茶房」の前を通る。申し訳ないが、本日は「大丸やき」はパス。今川焼き・大判焼きとも微妙に味わいの異なる「大丸やき」は買った当日ではなく翌日に食べるというのがお約束の菓子だ。

大丸やき茶房 

さらに、かつておなじみであった洋菓子店「柏水堂」(1929年 昭和4年創業、2015年3月31日閉店)のあったビルの前を通る。いまはもう跡形もない。「プードルケーキ」や「フィグケーキ」が有名だったが、私にとってはなんといっても滴り落ちるほどのラムを使ったサバラン「セ・アルジャン」が食べられなくなったのが残念だ。

 

そして、すずらん通りへ。「橘昌 文銭堂」(1949年 昭和24年創業)で「どら焼き」を買う。

ここは、神田の「文銭堂」とはおそらく関係ないだろう。

橘昌 文銭堂

ここで買ってしまったので、神保町のどら焼きの老舗「亀澤堂」さんは今回はパスさせてもらう。近々訪れる予定。

 

神田神保町ではもう1軒、「御菓子処 さゝま」へ。

この店は昭和4年(1929年)にパン店として開業し、和菓子を始めたのが昭和6年(1931年)頃だという。いまでは東京を代表する和菓子の名店の一つだ。

目当ての「松葉最中」と今月のお菓子の中から「久寿桜」「紫陽花」「麦秋」を選ぶ。

ささま 

さて最後は神田淡路町の「近江屋洋菓子店」へ。1884年(明治17年)創業の洋菓子店だが、いまも立派に現役のスタンダードを示し続けている店だ。私は素直に、人気のある「イチゴのショートケーキ」と「アップルパイ」が好みだ。

 

実は、いま、アップルパイの食べ比べを進めている最中なのだが、正直、少し嫌気がさしている。アップルパイは元々アメリカから入ってきたものなのでしかたがないのだが、昨今の強調されすぎた「アメリカ風アップルパイ」にはどうもなじめない。

「りんごをたくさん入れれば良いというものじゃないだろう」「クリームでごまかすなよ」「パイ地だけで結構、カステラ地は邪魔だ」「甘ったるいソースを掛けるなど…」と文句ばかりが口をつく。

そこへ行くとこの「近江屋洋菓子店」の「アップルパイ」は、シンプルで、りんごもおいしい、バターの香りたっぷりの生地もおいしい。「私にとってはこれがアップルパイだ」と安心するのだ。

近江屋洋菓子店

そういえば、日本橋などに売り場のあった「フジヤ ホテル ザ パイ」のパイもなかなか良かったのだが、すぐに閉店してしまった。 箱根の「富士屋ホテル」名物のパイの味を手軽に味わえると喜んでいたのに。

 

少し疲れも出て来たので須田町の甘味処「竹むら」あたりで一休みしたいところであったが、この日は定休日。

少し足を延ばして旧万世橋駅跡につくられた商業施設「マーチエキュート 神田万世橋」 に。

家内と二人の時はまず立ち寄ることのないコーヒー店で散歩の仕上げをした。「Obscura Coffee Roasters」。娘の住む三軒茶屋にもあるという。

コーヒー店

苦めのブラックコーヒーで散歩の余韻も心地よい。

 

それにしても、これだけ菓子店ばかり回る私に、家内は毎度の事でどうということはなかろうが、久しぶりにつきあう娘はあきれていることだろう。せっかく彼女の誕生祝いの散歩だというのに引っ張り回してしまった。