枕に顔を埋める。枕カバーに赤いタオルを巻いているのは、ただの癖だ。大してじぶんの香りが好きなわけではないが、タオルに顔を埋めることは何故如何様にも心地がいいのだろうか。ふと、おかあさんの枕はいい香りがしたなあと思い出す。使っているリンスは昔から同じなのに、こうにも自分と違う香りがするのは、いたずらにもDNAの鎖が違うのだろうか。
ふっと思い出す、重なる記憶と思い出。記憶には匂いがないが、思い出には香りが漂う。空気感が思い出の引き出し。時代によって色と柔らかさと湿っぽさが違う。笑っていても傷ついていても空気の質は時を変えないもので比較的新しいものはやっぱりどこか小ざっぱりしている。あんなに傷ついたのに空気は空気清浄機でもかけた部屋のようにすっきりしていて少しむかつく。自分の香りが染みていないなんてどこか他人事で、その空気感が自分のものだと思えるようになった時には、私はもっと傷つくのだろうか。それとも人生の通過点のような優しくて甘やかしのようなものに変わっているのだろうか。
見たもの感じたものは変わらなくとも、考え方というのは気付かぬうちに変わっていく。それは年単位でもあり、昨日今日の短い間でも変わっていくものだ。変化とは怖い。出来ることなら何も変わらない一貫した人間でありたい。それを人は頑固だと言うのなら、大迷惑な生き方だけれども。考えを曲げないのが頑固なら、一貫することも考えを曲げないことなのだろうけれど、なんせ格好良さが違う。頑固が頑固と呼ばれる所以は、その考え方にイカしてない部分があるせいだ。つまんない、それじゃ。
つまらないことは嫌い。勉強しに入ったマックで1人で2時間寝た。合間合間目がさめる度に、家で昼寝がしたいと思った。どれだけ強く願っても意識の中でさえ物体の感覚は変えられず、ソファと固い机がふわふわのベッドと心地よい裏起毛の羽布団に変わらないことを恨んだ。枕に顔を埋めたい。自分の香りが道筋であって、後ろをみてもよし、前を安全すすむために確認するもよし。てめえが考えてるほど人生はきついものではなくて、もっと余裕があるものの筈なんだから、夜のしじまにくだらないことをつらつら書いても大丈夫、あしたも起きるさ