　三世紀初頃　印恵と倭迹迹姫

　三世紀初頃、倭国では、男王・女王による統治が行われていた。

【史料１】晋・陳寿撰『魏志』倭人傳(昭和60石原道博編『魏志倭人伝』)
　その国、本また男子を以て王となし、住(とど)まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃(すなわ)ち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす。年已に長大なるも、夫婿(ふせい)なく、男弟あり、佐(たす)けて国を治む。王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。

ここには、「乃ち共に一女子を立てて王となす」とあり、男王と共に女王が立てられたと思われる。この時代は、印恵(御真木入彦)の時代であり、共に立った女王(卑弥呼(ひめこ))は、倭迹々日百襲姫であろう。

【参考Ａ】養老四年五月舎人親王ほか『日本書紀』巻第五崇神天皇
　七年の春二月(はるきさらぎ)の丁丑(ひのとのうし)の朔(ついたち)辛卯(かのとのうのひ)に、詔(みことのり)して曰(のたま)はく、「昔(むかし)我(わ)が皇祖(すめみおや)、大(おほ)きに鴻基(あまつひつぎ)を啓(ひら)きたまひき。其(そ)の後(のち)に、聖業(ひじりのわざ)逾(いよいよ)高(たか)く、王風(きみののり)轉(うたた)盛(さかり)なり。意(おも)はざりき、今(いま)朕(わ)が世(よ)に當(あた)りて、數(しばしば)災害(わざはひ)有(あ)らむことを。恐(おそ)るらくは、朝(みかど)に善政(よきまつりごと)無(な)くして、咎(とが)を神祇(あまつかみくにつかみ)に取(と)らむや。盍(なん)ぞ命神龜(うら)へて、災(わざはひ)を致(いた)す所由(ことのよし)を極(きは)めざらむ」とのたまふ。是(ここ)に、天皇(すめらみこと)、乃(すなは)ち神淺茅原(かむあさぢはら)に幸(いでま)して、八(や)十(そ)萬(よろづ)の神(かみたち)を會(つど)へて、卜(うら)問(と)ふ。是(こ)の時(とき)に、神明倭迹迹日百襲姫命(かみやまとととびももそひめのみこと)に憑(かか)りて曰(のたま)はく、「天皇、何(なに)ぞ國(くに)の治(をさま)らざることを憂(うれ)ふる。若(も)し能(よ)く我(われ)を敬(ゐやま)ひ祭(まつ)らば、必(かなら)ず當(まさ)に自平(たひら)ぎなむ」とのたまふ。天皇問ひて曰(のたま)はく、「如此(かく)教(のたま)ふは誰(いづれ)の神(かみ)ぞ」とのたまふ。答(こた)へて曰(のたま)はく、「我(われ)は是(これ)倭國(やまとのくに)の域(さかひ)の内(うち)に所居(を)る神、名(な)を大物主神(おほものぬしのかみ)と爲(い)ふ」とのたまふ。時に、神(かみ)の語(みこと)を得(え)て、教(をしへ)の随(まにま)に祭祀(いはひまつ)る。然(しか)れども猶(なほ)事(こと)に於(し)て驗(しるし)無(な)し。天皇、乃ち沐浴(ゆかはあみ)齋戒(ものいみ)して、殿(みあらか)の内(うち)を潔淨(きよまは)りて、祈(の)みて曰(まう)さく、「朕(われ)、神(かみ)を禮(ゐやま)ふこと尚未(なほいま)だ盡(ことごとく)ならずや。何(なに)ぞ享(う)けたまはぬことの甚(はなはだ)しき。冀(ねが)はくは亦(また)夢(いめ)の裏(うち)に教(をし)へて、神思(かみのみうつくしび)を畢(つく)したまへ」とまうす。是(こ)の夜(よ)の夢(みゆめ)に、一(ひとり)の貴人有(むちあ)り。殿戸(みあらかのほとり)に對(むか)ひ立(た)ちて、自(みづか)ら大物主神(おほものぬしのかみ)と稱(なの)りて曰(のたま)はく、「天皇(すめらみこと)、復(また)な愁(うれ)へましそ。國(くに)の治(をさま)らざるは、是(これ)吾(わ)が意(こころ)ぞ。若(も)し吾が兒(こ)大(おほ)田田根子(たたねこ)を以(も)て、吾(われ)を令祭(まつ)りたまはば、立(たちどころ)に平(たひら)ぎなむ。亦(また)海外(わたのほか)の國(くに)有(あ)りて、自(おの)づからに帰伏(まうしたが)ひなむ」とのたまふ。

　ここに見える倭迹迹日百襲姫命は、魏志倭人伝に、「鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす」とある卑弥呼を彷彿とさせるが、諸説あって、検討を要する。
　明治43年６・７月、白鳥庫吉は、邪馬台国九州説の立場からではあるが、『東亜之光』第五巻第六・七号に、卑弥呼は、姫尊の転訛であるとの見解を示した。

【参考Ｂ】明治43 白鳥庫吉「倭女王卑弥呼考」『東亜之光』第五巻第六・七号
卑弥呼とは女王の呼称で、その実名ではない。その義は姫尊即ちHimemikotoの転訛であろう。狗奴国王の卑弥弓呼の倒置で、hikomikotoの省略である。さればこれも実名ではなくて尊称である。(中略)女治の問題景行朝から神功の代に亙って、九州地方に女子にして君長たりしものが十二名ある。これに卑弥呼及び壱与を加うる時は、十四名の多きに及ぶ。卑弥呼女王が英略勇武であったわけでなく、又母系制が行われていたのでもない。彼女が女王として推戴せられたのは、神祇に奉持し、其の意を伝達するに適したる性質を具備したが故である。ここに想倒することは、天照大神が女性の御身を以て高天ガ原に君臨し給うたことである。それと共に大御神と素戔嗚尊との争う神話であって、それが卑弥呼と狗奴国男王との争いに似ていることである。若しも神話にして太古の事実を伝えたものとするならば、神典中に記された天ノ安河の物語は、卑弥呼時代に於けるが如き社会状態の反映と見るを得べきか。人代の所伝としては神功皇后も神明の憑託となり軍民の畏服するところとなった好例である。卑弥呼に就いて「有二男弟一佐治レ国、自レ為レ王以来、少レ有二見者一云云」とあるは、神功皇后が神主となって神殿に籠らせ給い、武内宿禰が沙庭に伏して神命を請うに比すべきものである。『日本書紀』の編者が暗に卑弥呼を以て神功皇后に擬せしも、全く此の類似を認めた故であろうけれども、斯る類似は独り皇后と卑弥呼とに限るべきではない。苟も当時一方に雄拠して君主と仰がれた女王は、大概此の性質を具備していたものである。故に余輩は茲に「書紀」の妄を断じて本論の結末とする。

明治43年、内藤虎次郎は、『芸文』において、卑弥呼を倭姫命に擬定した。

【史料Ｃ】明治43 内藤虎次郎「卑弥呼考」『芸文』第一年第二～四号
　官名。爾支はイネキ(稲置)の転訛、泄謨觚・兕馬觚は共にシマコ(島子)と読み、柄渠觚はヒココと読む。多模はタマ(玉・魂)にて地方君長の尊称と解す。弥弥(ミミ)・弥弥那利は某耳・耳垂に音近く尊称。伊支馬は大和国平群郡の往馬坐(イコマニマス)伊古麻都比古(イコマツヒコ)神社を祭る卜部の官氏の名、或は垂仁天皇の御名代(活目(イクメ))ならん。弥馬升は孝昭天皇(観松(ミマツ)彦)の御名代、弥馬獲支は崇神天皇(御間城)の御名代、奴佳鞮は中臣の対音、狗古智卑狗は熊襲系の菊池彦である。次に卑弥呼を倭姫命に擬定す。「有ニ男弟一佐治レ国」とは景行天皇を指す。「唯有二男子一人一、給二飲食一云云」は『倭姫命記』に見えたる大若子命が其の弟乙若子命を、建日方命が弟伊爾方命を舎人とせしことなどから類推し得る。難升米は田道間守である。伊声耆(イサンガ)・掖邪狗(イサカ)は同一名の別字で、一は重複して記され、一は単に一方のみを記されたのであろう。『神名帳』に出雲国出雲郡の伊佐我神社あり、これに関係あるようである。都市牛利の都市(ヅシ)は出石(イヅシ)、牛利(ゴリ)は心(ゴリ)で人名語尾、田道間守に縁あるものらしい。或は伊佐我命に縁ある者とすれば、都賀利神(ノ)社と関係あるか。卑弥弓呼素の呼素は比売語曾(￮￮)などある人名語尾で、襲国の酋長であろう。壱与は邪馬壱(￮)の誤字と同じく、台与の誤りで豊を写したもの、豊鍬入姫命を伝えたものか。

大正13年４月、笠井新也は、『考古学雑誌』に、卑弥呼を倭迹迹日百襲姫に比定した。

【参考Ｄ】大正13年４月笠井新也「卑弥呼即ち倭迹迹日百襲姫命(一)」
　既往学界の書紀紀年研究の所説に基づき、『古事記』注記崩年干支戊寅を西紀二五八年に推当し、「卑弥呼の時代は即ち崇神天皇の時代であることは、もはや疑を容れないといつて可からう」と前提して、卑弥呼を崇神紀七年及び十年条に記している倭迹迹日百襲姫に比定する。その理由として『魏志』の卑弥呼に関する記事と百襲姫命に関する所伝とが人物・事跡に於て一致する。即ち卑弥呼は姫命を写したもの。「事二鬼道一能或レ衆」「年已長大、無二夫婿一」がよく百襲姫の所伝に一致し、「有二男弟一、佐治レ国」とある男弟は崇神天皇に当る。勿論天皇は姫命の弟でなく甥であるが、この違いは外国人の見聞としては恕すべきである。ここに聊か矛盾を感じるのは、『魏志』の場合に於ては、卑弥呼は主で、所謂男弟は従の態であるが、併し太古祭政一致の時代に於ては、祭祀(マツリ)即ち政治(マツリゴト)であって、神と神に奉仕する者とが一体両面的であったので、未だ我が国体に深く通じない外人の眼に、主客顚倒の観察をなさしめるということは蓋しあり得べきことであろう。

　この卑弥呼(倭迹々日百襲姫)の出自については、記紀の記述には微妙な違いがみられる。

【参考Ｅ】和銅五年正月廿八日太安萬侶序『古事記』孝霊天皇(日本思想大系)
　大倭(おほやまト)根子(ねこ)日子(ひこ)賦斗迩命(ふとにノみコト)、黒田(くろだ)ノ廬戸宮(いほとノみや)に坐(いま)して、天下治(あメノしたしらしめ)しき。此(コ)ノ天皇(すめらみコト)、十市県主之祖(トをちノあがたぬしがおや)、大目之女(おほメがむすめ)、名(な)は細比売命(ほソひめノみコト)に娶(みあひ)して、生(う)みませる御子(みこ)、大倭根子日子国玖琉命(おほやまトねこひこくにくるノみコト)。〈一柱(ひトはしら)。玖琉ノ二字は音(コゑ)を以(モち)ゐる。〉又(また)、春日(かすが)之千〃(ノちち)速(はや)真(ま)若(わか)比売(ひめ)に娶(みあひ)して、生(う)みませる御子(みこ)、千(ち)〃(ち)速(はや)比売命(ひめノみコト)。〈一柱(ひトはしら)。〉又(また)、意富夜麻登玖迩阿礼(おほやまトくにあれ)比売命(ひめノみコト)に娶(みあひ)して生(う)みませる御子(みこ)、夜麻登登(やまトト)母〃曾(モモソ)毘売命(びめノみコト)。次(つぎ)に、日子刺肩別命(ひこさしかたわケノみコト)。次(つぎ)に比古伊佐勢理(ひこいさせり)毘古命(びこノみコト)、亦(また)ノ名(な)は大吉備津日子命(おほきビつひこノみコト)。次(つぎ)に、倭飛羽矢(やまトトびはや)若(わか)屋(や)比売(ひめ)。〈四柱(ヨはしら)〉。又(また)、其(ソ)ノ阿礼比売命之弟(あれひめノみコトノおト)、蠅(はへ)伊呂杼(いロド)に娶(みあひ)して、生(う)みませる御子(みこ)、日子寤間命(ひこさメまノみコト)。次(つぎ)に、若日子建吉備津日子命(わかひこたけきビつひこノみコト)。〈二柱(ふたはしら)。〉此(コ)ノ天皇之御子等(すめらみコトノみこたち)、幷(あは)せて八柱(やはしら)。〈男王五(ひこみこいつ)はしら、女王(ひめみこ)三(み)はしら。〉故(かれ)、大倭根子日子国玖琉命(おほやまトねこひこくにくるノみコト)者(は)、天下治(あメノしたしらしめ)しき。大吉備津日子命(おほきビつひこノみコト)ト若(わか)建(たけ)吉(き)備(ビ)津(つ)日子命(ひこノみコト)与(ト)は、二柱(ふたはしら)相(あひ)副(そ)ひ而(て)、針間(はりま)ノ氷河之前於(ひかはノさきに)、忌瓮(いはひへ)を居(す)ゑ而(て)、針間(はりま)を道口(みちノくち)ト為(し)て吉備国(きビノくに)を言(コト)向(む)ケ和(やは)しき。故(かれ)、此(コ)ノ大(おほ)吉(き)備(ビ)津(つ)日子命(ひこノみコト)者(は)、〈吉備(きビ)ノ上(かみ)つ道臣之祖(みちノおみがおや)ソ。〉次(つぎ)に、若日子建吉備津(わかひこたけきビつ)日(ひ)子(こノ)命(みコト)者(は)、〈吉備(きビ)ノ下(しも)つ道臣(みちノおみ)・笠臣(かさノおみ)が祖(おや)ソ。〉次(つぎ)に、日子寤間命(ひこさメまノみコト)者(は)〈針間(はりま)ノ牛鹿臣(うしかノおみ)之(が)祖(おや)ソ〉。次(つぎ)に、日子刺肩別命(ひこさしかたわケノみコト)者(は)、〈高志之利波臣(こしノとなみノおみ)・豊国之国前臣(トヨノくにノくにさきノおみ)・五百原君(いほはらノきみ)・角鹿(つぬか)ノ海直之祖(あまノあたひがおや)ソ。〉天皇(すめらみコト)ノ御年(みトし)、壱佰陸歳(ももトせあまりむトせ)。御陵(みさざき)は片岡(かたをか)ノ馬坂(うまさか)ノ上(へ)に在(あ)り。

　ここに見える夜麻登登(やまトト)母〃曾(モモソ)毘売命(びめノみコト)は、卑弥呼(倭迹々日百襲姫)であろう。この孝霊記に従って図示してみると、次のようになる。

大倭根子日子賦斗迩(孝霊天皇)

大倭根子日子国玖琉(治天下=孝元天皇)

十市県主之祖大目之女細比売

千々速比売
春日之千々速真若比売

夜麻登登母々曾毘売

日子刺肩別

比古伊佐勢理毘古命(又の名大吉備津日子)

倭飛羽矢若比売意富夜麻登玖迩阿礼比売

日子寤間
若日子建吉備津日子蠅伊呂杼若日子建吉備津日子

夜麻登登母々曾毘売の母・意富夜麻登玖迩阿礼比売については、安寧記に、次のように見えている。

【参考Ｆ】和銅五年正月廿八日太安萬侶序『古事記』安寧天皇(日本思想大系)
師木津日子(しキつひこ)玉手見命(たまてみノみコト)、片塩(かたしほ)ノ浮穴宮(うきあなノみや)に坐(いま)して、天下治(あメノしたしらしめ)しき。此(コ)ノ天皇(すめらみコト)、河俣毘売之兄(かはまたひめがあに)、県主波延之女(あがたぬしは江がむすめ)、阿久斗比売(あくとひめ)に娶(みあひ)して、生(う)みませる御子(みこ)、常根津日子伊呂泥命(トコねつひこいロねノみコト)。〈伊自(よ)り下(しも)ノ三字は音(コゑ)を以(モち)ゐる。〉次(つぎ)に大倭日子鉏友命(おほやまトひこすきトモノみコト)。次(つぎ)に、師木津日子命(しキつひこノみコト)。此(コ)ノ天皇之御(すめらみコトノみ)子(こ)等(たち)、幷(あは)せて三柱之中(みはしらノなか)に、大倭日子鉏友命(おほやまトひこすきトモノみコト)者(は)、〈伊賀(いが)ノ須知之稲置(すちノいなき)・那(な)婆(ば)理(り)之(ノ)稲置(いなき)・三野之稲置之祖(みのノいなきがおや)ソ。〉一(ひトり)ノ子(こ)、和知都美命(わちつみノみコト)者(は)、淡道之(あはぢノ)御(み)井(ゐノ)宮(みや)に坐(いま)しき。故(かれ)、此(コ)ノ王二(みこふたり)ノ女(むすめ)有(あ)り。兄(江)ノ名(な)は蠅(はへ)伊呂泥(いロね)、亦(また)ノ名(な)は意富夜麻登久迩阿礼比売命(おほやまトくにあれひめノみコト)。弟(おト)ノ名(な)は蠅(はへ)伊呂杼(いロド)なり。天皇(すめらみコト)ノ御年(みトし)、肆拾玖歳(ヨそトせあまりココノトせ)。御陵(みさざき)は畝火山(うねビノやま)之美富登(ノみほト)に在(あ)り。

これを図示してみると、次のようになる。

師木津日子玉手見(安寧天皇)

常根津日子伊呂泥

大倭日子鉏友(治天下=懿徳天皇)

師木津日子一ノ子(伊賀須知・那波理・三野之稲置之祖)
　　県主波延―阿久斗比売和知都美蠅伊呂杼
すなわち、卑弥呼(倭迹々日百襲姫)は、師木津日子玉手見(安寧)の玄孫ということになる。
　一方、孝霊紀には、次の様にある。

【参考Ｇ】養老四年五月舎人親王ほか『日本書紀』巻第四孝霊天皇
大日本(おほやまと)根子彦太瓊天皇(ねこひこふとにのすめらみこと)は、日本足彦國押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)の太子(みこ)なり。母(いろは)をば押媛(おしひめ)と曰(まう)す。蓋(けだ)し天足彦國押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の女(みむすめ)か。天皇、日本足彦國押人天皇の七十六年の春正月を以(も)て、立(た)ちて皇太子(ひつぎのみこ)と爲(な)りたまふ。(中略)
　元年(はじめのとし)の春正月の壬辰(みづのえたつ)の朔癸卯(みづのとのうのひ)に、太子(ひつぎのみこ)、卽天皇位(あまつひつぎしろしめ)す。皇后(きさき)を尊(たふと)びて皇太后(おほきさき)と曰(まう)す。是年、太歳辛未(かのとのひつじ)。
　二年の春二月の丙辰(ひのえたつ)の朔丙寅(ひのえとらのひ)に、細媛命(ほそひめのみこと)を立てて、皇后とす。〈一(ある)に云(い)はく、春日(かすがの)千乳(ちち)早山(はややま)香(か)媛(ひめ)といふ。一(ある)に云はく、十市(とをちの)縣(あがた)主(ぬし)等(ら)が祖(おや)が女眞舌媛(むすめましたひめ)といふ。〉后(きさき)、大日本根子彦國牽天皇(おほやまとねこひこくにくるのすめらみこと)を生(あ)れます。妃倭國香媛(みめやまとのくにかひめ)、〈亦(また)の名(な)は絚某姉(はへいろね)。〉倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)・彦(ひこ)五十(い)狹芹彦命(させりひこのみこと)。〈亦の名は吉備津彦命(きびつひこのみこと)。〉・倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)を生(う)む。亦妃(またのみめ)絚(はへ)某弟(いろど)、彦狹嶋命(ひこさしまのみこと)・稚武彦命(わかたけひこのみこと)とを生(う)む。弟稚武彦命は、是(これ)吉(き)備(びの)臣(おみ)ノ始祖(はじめのおや)なり。

　これを図示してみると、次の様になる。

　　日本足彦國押人(孝安天皇)
大日本根子彦太瓊(考靈天皇)天足彦國押人ヵ―押媛

押媛大日本根子彦太瓊(孝靈天皇)

大日本根子彦國牽(孝元天皇) －
細媛

倭迹迹日百襲姫

彦五十狹芹彦(吉備津彦)

倭迹迹稚屋姫妃倭國香媛(亦の名・絚某姉)

彦狹嶋
稚建彦(吉備臣始祖) 亦妃・絚某弟

これによると倭迹迹日百襲姫は、押媛大日本根子彦太瓊(孝靈天皇)の娘ということになるが、孝元紀には、別の記述が見える。

【参考Ｈ】養老四年五月舎人親王ほか『日本書紀』巻第四孝元天皇
大日本(おほやまと)根子彦國牽天皇(ねこひこくにくるのすめらみこと)は、大日本(おほやまと)根子彦太瓊天皇(ねこひこふとにのすめらみこと)の太子(みこ)なり。母(いろは)をば細媛命(ほそひめのみこと)と曰(まう)す。磯城縣主大目(しきのあがたぬしおほめ)が女(むすめ)なり。天皇(すめらみこと)、大日本根子彦太瓊天皇の三十六年の春正月を以(も)て、立(た)ちて皇太子と爲(な)りたまふ。年十九(みとしとをあまりここのつ)。(中略)
　元年(はじめのとし)の春正月の辛未(かのとのひつじ)の朔甲申(きのえさるのひ)に、太子(ひつぎのみこ)、卽天皇位(あまつひつぎしろしめ)す。皇后(きさき)を尊(たふと)びて皇太后(おほきさき)と曰(まう)す。是年(ことし)、太歳丁亥(ひのとのゐ)。(中略)
　七年の春二月の丙寅(ひのえとら)の朔丁卯(ひのとのうのひ)に、欝色謎命(うつしこめのみこと)を立(た)てて皇后とす。后(きさき)、二(ふたはしら)の男(ひこみこ)一(ひとはしら)の女(ひめみこ)を生(あ)れます。第一(ひとはしらにあたりたまふ)をば大彦命(おほびこのみこと)と曰(まう)す。第二(ふたはしらにあたりたまふ)をば稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと)と曰(まう)す。第三(みはしらにあたりたまふ)をば倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)と曰(まう)す。〈一(ある)に云(い)はく、天皇の母弟(いろど)少(すくな)彦(ひこ)男心命(をこころのみこと)といふ。〉妃(みめ)伊香色謎命(いかがしこめのみこと)、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を生(う)む。次妃(つぎのみめ)河内靑玉繫(かふちのあをたまかけ)の女(むすめ)埴安媛(はにやすひめ)、武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)を生(う)む。兄(いろね)大彦命(おほびこのみこと)は、是(これ)阿倍臣(あへのおみ)・膳臣(かしはでのおみ)・阿閉臣(あへのおみ)・狹狹城山君(ささきのやまのきみ)・筑紫國造(つくしのくにのみやつこ)・越國造(こしのくにのみやつこ)・伊賀臣(いがのおみ)、凡(すべ)て七族(ななやから)の始祖(はじめのおや)なり。彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)は、是(これ)武内(たけしうちの)宿禰(すくね)の祖父(おほぢ)なり。

　これを図示すると、次の様になる。

　大日本根子彦太瓊(孝霊天皇)

大日本根子彦國牽(孝元天皇)
磯城縣主大目―細媛

欝色謎

彦太忍信命(武内宿禰の祖父)
妃伊香色謎

建埴安彦河内靑玉繫―埴安媛倭迹迹姫命(一云、天皇母弟少彦男心命)
この倭迹迹姫命の頭注(岩波・日本古典文学大系67)には、「記伝は、孝霊皇女、倭迹迹日百襲姫命と同一人で、父に二説あったという」とあって、倭迹迹日百襲姫と同一人と考えられる。崇神紀十年九月条には「天皇(すめらみこと)の姑(みをば)倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)」とあり、倭迹迹日百襲姫は、大日本根子彦國牽(孝元天皇)の子で、稚日本根子大日日(開化天皇)の妹とするのが、正解ではあるまいか。倭迹迹姫命は、魏志倭人伝の卑弥呼に比定される。魏志倭人伝には、卑弥呼は「男弟あり、佐けて国を治む」とあり、すくなくとも、印恵よりも、卑弥呼(倭迹迹姫)の方が年上であった。