なぜ布教をするのか。
なぜこんな重いタイトルにしてしまったのか。
正直昨日の記事といい、なにを書いているのかさっぱりわかりません。
反省しましたので、タイトルはとは関係のないことを書きます。
世界共通開発言語としてC、Java、etcとありますが、
これらの言語は100年後、1000年には使用する人は少ないと私は思います。
なぜでしょうか。
私達人間はロボットではありません。
決められたことを守るも破るも自分次第と曖昧な中、
不正のないロジックを組むのがその人間であるという打開しようのない矛盾。
開発を仕切る責任者は、何を基準にその人間を選ぶでしょうか。
皆様は、いいアイデアを思いつくでしょうか。
私はこう考えます。
常に進化をする人間相手に1年2年も続く開発の中で、
変わらない約束なんて誰も出来ないのではないでしょうか。
少しでも不正が入りこめないように、
(約束の出来ない)人間が(常に完璧である)機械に入り込める幅を狭くする
ことがより安心なシステムを作る方法でしょう。
誰にでも分かる設計図。
明確なフロー。
より抽象的な開発手法になってきていることはシステム開発に携わる人から
したら明確でしょう。
いいものが必ず世に広まるとは限りません。
広げるのは人であり、開発するのは人だからです。
どちらにしても私はいつまでもよりネイティブな技術を持っていたいです。
バベルの塔は建てられる。
旧約聖書に「バベルの塔」という広く知られた話があります。
その訳には多くありますが、簡単に書けば以下のような内容であったと思います。
天まで届く塔を作っている人間に対し神が哀れみ、
原因を言葉ば同じことだと考えた神は、人々から共通の言葉を奪った。
ここでいいたいことは、「天まで届く塔を建てるなんてことを考えてはいけない。」
という単純なことではないとは思いますが、いまではこの話から、途方もない計画に対して、
「バベルの塔でも建てる気か。」と、比喩して使われたりもします。
皆様は、この話をどのように考えていますか?
今、私が考えること全てを書くとすれば本が1冊かけてしまうので、
簡潔に書きます。
バベルの塔は建てられます。