最近競艇を始めました。


けっこう稼げています。


成績アップしますので


よろしく

コピーライターの糸井重里さんが、ほぼ日刊イトイ新聞でツイッターをはじめてみての感想を載せていました。

はじめてからわかったことひとつがある。
「おまえはだれだ?」の答えが、
いちおう見えるということだ。
たとえば、いやな例だけれど、
じぶんの「ツイート」に、
ずいぶん失礼な「ことば」が投げられたとする。

「ばーか。おまえなんか死んでしまえ!」
ま、こんな単純な悪意もそうはないけれどね。
これを読まされたら、
その発言者のホームに行ってみることがすぐにできる。
それがどこのだれなのかわからなくても、
これまでに、どういう発言をしてきたのかの記録が読める。

彼の友人と待ち合わせしているツイート、
他の人に毒づいているツイート、
夜中に落ち込んでいるツイート‥‥。
名前も住所もわからないけれど、
彼がどういうことをまさしく「つぶやいてきた」のかは、
ある程度みえてくるわけだ。
どんなふうな人間が、どういう風の吹き回しかで
「死んでしまえ!」と言ったのだと知ると、
言われたことの腹立たしさが、すうっと薄まる。

暗闇から石を投げたり、刃物を突き出したりする者が、
人間であり、それはそれで生活がある
ということを知れるのは、
ほんとうにありがたいしくみだと思う。


ツイッターというもののしくみは、
参加している人たちの
「環境」どうしをつなげるものらしい。


糸井さんはまだツイッターを使い始めて2週間だそうですが、既にツイッターの本質の一部を突いているのでは!という鋭い指摘でした。ツイッターが荒れにくいと言われているのには、140文字という縛りもありますが、この糸井さんが指摘したような感覚も多分に影響しているのかもしれませんね。

関係ありませんが、面白い記事を見つけた。


インド北部のウッタルプラデシ州に、防犯ゲートや警備員、金庫もない「銀行」が存在する。25年前に設立されたラム・ラム・バンクでは利子も融資も提供していないが、顧客約5000人による祈りの「積み立て」が神の加護によって守られているという。

 顧客は、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公ラム(ラーマ)の名前を紙片に10万回ほど書き込み、その紙片をラム・ラム・バンクに預け入れる。預けられた紙片は半年ごとにラムの生誕地である聖地アヨディヤの寺院に送られる。

 同行はこれまで、紙片としてたばこの箱や古新聞も受け入れてきたが、1人の顧客の好意により、このほど預け入れ専門の「紙幣」帳が作成された。

 ラム・ラム・バンクを設立したLovelesh Tewariさんは「(同行には)泥棒の心配はなく警備の必要はない」とコメント。「神の名前を書くという行為が媒介となり、抑圧された不満が解放されて気持ちが楽になる。また、(名前を書き続ける)信念が目標達成に向けた力となる」と述べた。

 「積み立て」に宗教上の制限はなく、ヒンズー教徒、シーク教徒、イスラム教徒がラムの名前をそれぞれの言語で書いているという。

 ある顧客からは「ラムの名前を銀行に預け入れた後、エンジニアリングの学校に娘が入学した」と喜びの声が聞かれた。


世の中、面白い銀行があるもんですね。