ネット依存症を克服した話①の続きです。
私のネット依存症時代を象徴するような写真だと思ったのでここにアップしました。
キレイだなあと思って、クラウドに保存してあったのを落としてきました。
私の世界は3LDKの自宅アパートと幼稚園の間の景色だけでした。
家と幼稚園のあいだの道を3人の子どもたちと一緒に毎日片道20分かけて往復していました。そこが私の世界でした。
もちろん子どもたちは真っ直ぐ歩かないので、30分くらいかかることもざらにありました。
あの写真には「今日はシンガポールに来ています」とかかれてありました。
本当にシンガポールかどうかは定かではないですが。
旅行に行くようなお金はないので、写真は自分とは関係のない異世界のものに思えました。
私がいる狭い世界から見るシンガポールの写真はとても魅力的ではありましたが
そのときはまるで鳥かごから見える外の景色のようにも思えました。
ずっと同じ場所、病室みたいなところから外で楽しそうに歩く人たちをみているような。
そんな気持ちでシンガポールの写真をみていました。
今ならわかるけれど、依存症になるということは寂しいってことだったんです。
自分らしくいたいのに、他人の目を気にしたり、自分の本音を大事にしようとして逆に傷ついたり。
本音で生きることは傷つくことが多いからです。
さて、ネット依存症と本気で向き合わないといけない事件が起こりました。
なんと私の無知のせいで、当時のガラケーからブログにアップした写真のデータが大きすぎてひとつきで10万円のケイタイ料金の請求額がきました。
アダルトサイト閲覧料でも詐欺被害でもなく写真送っただけで10万・・・
主人には当然激怒され、実家にも通報される始末。
そこから芋づる式に、部屋が汚い、遅刻魔ですぐ約束も忘れる、家のカギをしょっちゅう無くすなど指摘されました。
主人を信じ切ることが出来なかった当時の私は毎日離婚の妄想ばかりしていました。
でも今ならわかります。そんなことがあっても主人は私に離婚の言葉を出してくることはありませんでした。
完全に私の間違った思い込みでした。
途方に暮れた私は、何とかしようと必死になり見つけて出会ったのが、あな吉手帳でした。
藁をもすがる思いで、主人に土下座して手帳の本を買ってもらいました。
手帳カフェに参加したことがキッカケで
少しずつですが今まで行ったことのない世界へと出て行くようになりました。
ネット依存症になってから5年目のことです。
もちろんその間も妊娠出産は繰り返しあり、全てを子育てと同時進行でやっていました。
手帳カフェによって、ネット依存症の引きこもり主婦だった私がリアルの世界へと進んでいきました。
あな吉手帳以外にも、ママカフェという子育てセミナーを受講し始めたのもこの頃でした。
コミュ障の自分を何とかしたくて、こちらも主人に子どもたちを全員お願いし、自分の病院以外の用事で私1人で自分のためだけに出かけられるようになりました。
依存症を克服しようと思って、一気にネットを遮断することはしませんでした。
理由はシンプルで、完全に無くすことはとてもつらかったからです。
つづく。