ママカフェって何?ママカフェについての詳細は
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ママカフェ@仙台主催者武山理恵さんのblogは
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どうもこんにちは、昨日は午後から打ち合わせも兼ねてママカフェお茶会に参加しました(*^ー^)ノ♪ゆりんごです。
昨日のお茶会は4名の参加でした。ありがとうございます(*´∀`*)
ママカフェお茶会についての詳細はこちら→(★★★)
さて、武山理恵さんのblogのこちらの記事→(★★★)で、理恵ちゃんが不登校に触れたきっかけについて、お話していましたので、ゆりんごも今回は不登校について書きたいと思います。
先日Webフリペフェスに出したフリペにも、【不登校】という言葉を入れました。
フリペフェスについてのゆりんごの記事はこちら→(★★★)
理恵ちゃんに初めてお会いして、名刺交換をしたのは手帳カフェ@仙台です。
理恵ちゃんの名刺に「不登校」という言葉が書いてあることにゆりんごは驚きました。
不登校だったことを、堂々と名刺に載せられる人がいるなんて!ていう気持ちでした。
ゆりんごは、といえばその時はどちらかというと不登校のことは誰にも知られたくない話したくない考えでいたので、「この人とは仲良くなれそう♪」と思えたんです。
その頃、子どもの同級生で不登校に悩むお母さんとお話をする機会が何度かありました。
知り合いのお母さんに、実はゆりんごも不登校だったから、今その子はこんな気持ちかもね、ゆりんごなら親からこうやって対応されたいなぁと思うよ、と言うと
「ゆりんごさん、不登校だったなんて想像つかないですよ~!でも、そう言われてみると、うちの子もそうかも!そうしてみるね。」
って言われました。
不登校だった過去のことを「負の遺産」とでも思いこんでいたのは自分だけだったのかな、とも思い始めました。
理恵ちゃんとも少しずつゆりんごが不登校だったときのことについて、また理恵ちゃんが不登校のときにどんな感じだったのか、不登校のことで初めて話ができるようになりました。
そもそもなぜゆりんごが不登校になったかというと
まわりの女の子の友達に「合わせる」ことができませんでした。
そして、まわりの友達が興味のあることや、好きなこと興味がもてませんでした。
どうしてトイレに一人で行けないの?
どうしていつも人の悪口ばかりでそれが楽しいの?
中学になるとさらに
どうして皆同じ服を着るの?
校則は何のためにあるの?
先生はどうしてえこひいきするの?
(あくまでもゆりんごの主観のお話です)
授業中にわからないことがあって質問すると迷惑そうにされることもあったり、先生の発言と行動が一致しない様子を見て先生に対しても不信感を持つようになりました。
教室という狭い世界の中で、他の子は音楽の話ひとつとってもジャ○ーズ系アイドルで盛り上がれる。
でも、ゆりんごはそっち系に興味が持てなかったので、一応自分の好きな系統の音楽も話すと
「えーそんなのが好きなの?」
という反応がきたので、それに傷ついて以来自分を出せなくなりました。
担任の先生とユーミンや竹内まりやの話で意気投合できるっていう子どもでした。
でも、根本的には、自分に自信がなかったんですね。
それから、ゆりんごは数学がメチャクチャ苦手で、毎回テストとなると
いわゆる過敏性大腸炎になり、正直「逃げて」ました。
そういうことが重なって、だんだんと今でいう「思春期危機」とか「思春期症候群」のような症状になってきて、毎日どこかしらが体調不良で学校に行けなくなりました。
そんな時、母からは
「どうしてそんなに頑張れないの?お母さんが子どものときはちゃんとできてたのよ。怠けてないでやることをやらないとダメでしょ」
と、ゆりんごのつらい苦しい気持ちをこの人はわかってくれないんだろうな、と思うようになり、親を頼る気持ちもなくなり、やりたくもないことを強制されやる、というような毎日でした。
今となってみると、ゆりんご自身も間違っていた、と思えるふしが多々あってて、突っ込みどころ満載なんですが、その当時はそういうわけで生きるのが辛かったんです。
そんな中で親身になってゆりんごの話を聞いてくれて、理解してくれたのが主人でした。
主人は理系で数学も得意で、勉強も教えてくれたり、そんなところに頼りがいがあるなー、と思ったりしてお付き合いが始まりました♥
…って、話が逸れそうなので(^_^;)話をママカフェに戻します。
そういう学校時代が終わり、すぐに結婚、出産をしました。
結婚して子どもが生まれて、今度は「ママ友」というコミュニティーが生まれました。
ゆりんごは子どもが多いので、きっと他のお母さんたちよりもママ友という世界で生活してきた時間が長いし、出会ったお母さんも多いとおもいます。
しかし、不登校のトラウマもあって、「ママ友」というか、友達とも言えない同じクラスだけれど知り合いのお母さんたちの中にいるのが苦痛でした。
苦痛だったので、他人を避けるような生活になり、結婚してから約5年間は児童館にも公園にも行かない生活でした。
その後、年子に近い子どもが24時間365日いる生活になり、家の中だけでは限界を感じるようになったので、3才、1才、乳児の3人を連れて仕方なく児童館や子育て支援広場に行き始めるようになりました。
それでも、やはり苦痛は変わらず、子連れで行くことが大嫌いでした。
子どもを遊ばせるために、連れていくだけ、という感じ。
それが、今から2年前にあな吉手帳に出会い、子どもを連れて初めて仙台駅前まで行きました。
手帳カフェ(その当時は仙台ラバーズ)が、幼稚園や小学校、ご近所とも全く関係ない非日常の空間であり、ゆりんごにとって社会に出るための初めてのきっかけでした。
あな吉手帳のおかげで、ゆりんごはお家から出られるようになりました。
ここらへんが、自分的にカントリー姐さんと似てて、ゆりんごの10年間のブラック専業主婦時代を経てあな吉手帳をきっかけに…というところです。
そして、1年前、手帳カフェで理恵ちゃんと出会い、最初は仙台駅にいくにも一苦労、仙台駅でも迷うというような状態から
今では仙台駅の地下通路からペストリアンデッキまで全てを網羅し、地図や出口も覚えることができました。
仙台駅は私の庭~みたいな気持ちになって、ついに県外進出。盛岡まで新幹線で行くことができるようにまでなりました。
きっとこの流れで、一年以内には東京進出し、名古屋から関西以南にも行けるようになり、全国制覇。
(どういう理由でそうやって動けるかは、不明w)
最終的には世界を飛び回る生活に…と、脳内の今後の人生についての妄想だけはしっかりとできております(*´∀`)つ
妄想はさておき、2年間でゆりんごはここまで変わることができました。
不登校時代からずっと引きずっていた人間関係の悩みが、ママカフェのお陰で解決できたんです。
ママカフェで、ママ友とのより良い関係の築き方も学びました。
学校時代の友達も、結婚してからもずっと避けていたんですが、最近は自分から連絡をとれるようになりました。
過去に生きていた自分や自分をとりまく人間関係をおだやかな気持ちで受け入れることができるようになりました。
先日帰省したときに、初めて母校の校門の前に立ちました。幼稚園から高校まで自分史巡りをしました。
ここが、母校なんだと、ごく当たり前の気持ちで校舎を見ることができました。
卒業後、結婚して学校となんの関係もないにもかかわらず、絶対に行きたくなかったし思い出したくもなかった学校。
でも今は、そんなこともあったよなあーと、こうしてblogにも書けるようになるほど、過去の自分史への執着がなくなりました。
ママカフェのお陰で、ゆりんごはここまで変わることができました。
さて、来週1/14にママカフェが石巻でも開催されますので、ママカフェ@仙台で受講を逃した方はこちらで受講してみることをオススメします(*^ー^)ノ♪
ママカフェ@石巻についての詳細はコチラ→(⭐⭐⭐)