nようやく、怒涛の12月も仕事納めになりました。 今月は、6月から続いた案件の完了報告会を行なったり、資料を前日に作成して12月からの案件のキックオフを開催したり、業務勉強会の資料を、仕方がないので土曜日に図書館で作成したり、ASの移設のために土曜日に出勤したり、アプリケーション保守案件の月次定例会の資料が直前までできておらず、「他のメンバーの方が見えられました」と先乗りして作成していた私に声をかけてくれたお客さんに「まだ4分あります」とお答えして、何とか作成したりしました。 また今日は工場のお客さんに納品に行ったのですが、一昨日、昨日と23時30分までやりましたが、担当しているRPGプログラムの開発が終わらず、30年来のお客さんに「1月の営業初日までには作るので、検収をもらえませんか」とお願いしたりしていました。もっともこの話は、一緒に納品したVBが上手く動かず、12月検収はなくなったので、私も1月にふつうに作ることになりました。PMとしてはいただけませんが、開発担当者としてはラッキーです。 さらに厳しかったのは、23日に実家から「母が倒れた」との連絡があった件です。この時も絶好調で客先でなぜか一人で作業をしていましたが、大急ぎで帰り途中にある実家に寄ってみると、母が熱を出し、息苦しそうにしていました。「肺炎になると死んでしまうので、急いで救急車を呼ぶように」という、義姉のアドバイスもあり、救急車を呼びました。23時ぐらいのことです。 その後、タクシーで嫁と追いかけ、検査をしてもらった結果を聞いて、一般病棟に入った母のもとを離れたのが、3時ぐらいでした。 家に帰り風呂に入って、床に就いたのが5時ぐらいでしたが、7時に病院から連絡がありました。朝に容態が急変し、ICUに入ったとのことです。 朝の病院からの電話は、父の時のこともあり、非常に不安な気持ちになります。急いで駆け付けるとICUのベッドで、前日よりも強力な呼吸器を付けられた母がいました。 ただ、ベッドも角度が付けられるいい感じのものになっていましたし、機械のせいもありますが、呼吸も安定していて、なんか昨夜よりも良いように私には見えました。 前夜のドクターからの説明では、インフルエンザからの肺水腫ではないかということで、お母さんの体力が持てば、問題を散らすことができるかもしれないが、致死率も高いということを言われていました。 顔色も前夜よりもよいような気がしたので、その勘を信じて、病院を後にし、その日は午後から出社しました。 この日は24日ということもあり、夜はサンタさんに娘(小6)の枕元までの道案内をしなければなりませんが、この日は大学の寮に入った長男くん(大1)が帰ってきたので、2時間しか寝ていない老獪な案内人は、おそらく夜型に拍車かかかり、体力も有り余っているであろう長男くんとの夜更かし勝負では敵わないと考え、朝にかけることとしました。 そして、翌朝しっかりものの嫁さんに起こされ、何とかサンタさんを案内することができました。 また、母も、翌日から熱も下がり、意識もしっかりしてきたということで、今日もお見舞いに行ってくれた嫁によると、退院の日程の見込みまで話題に出るようになったとのことです。 結果的に、なかなか有休を取れない私が、母の緊急入院のおかげで、午前有休をとれたというお話でした。 長~い。 長いと言ったらこれでしょう。でも、よかったです。 にほんブログ村