土曜日、左胸がチクチク痛くなった。
心臓らへんだから怖いんだけど、小さいころからあることだしあんまり気にしないようにしている。
ただ、いつも数秒で終わるのに比べると、3分くらい続いて、しゃべったり少し動いたら痛みが出たので、余計怖かった。
そのとき、ちょうど自分が喋っていて言いたいことの結論として、"死"について(いい感じの表現で)言及しようとしてた。
(ラッパーは最後の2小説が超大事ってかつてのK DUB SHINEも言ってた。)
痛くて喋れなくて、このまま死んだら言いたいこと言えずに死ぬなー笑えねーって思った。
(そういえば、今日父さん母さんと喋ってて、父さんが会話の結論を言おうとした直前に、母さんが関係ない話し始めてインターラプトして、父さんが何言いたいか見失っててすごく悔しそうだった。しばらく思い出そうと頑張ってるのがかわいそうだったが、結局思い出せてた。よかった。)
最近、プライベート的な諸事情でストレスとか疲れとかあるんだけど、多分逆流性食道炎が復活気味だからってのが原因ぽい。
とにかく、ここで死ぬのかなーとか考えたら、なんでこれやって来なかったんだろうとか、言ってこなかったのだろうとか一瞬で思いついた。
「すべての生は死を前提に存在する」ってこういうことかなーと。
本当は一人暮らしの家に帰る予定だったけど、実家に帰ろうと決めて、いざというときに助けてもらおうと思った。
しばらくして痛みがひいてからなんか穏やかになった。
人生、有限だなって再確認したし、やりたかったことやれなかったことをやろうと思った。
逆に、死ぬことが遠くなって、今がずっと続くと思うから惰性が生まれるし、ずっとこのままだとか、同じ人とずっと同じ関係性でいられるわけない。
映画「花束みたいな恋をした」で菅田将暉演じる麦くんが「僕の目標は絹ちゃんとの現状維持です」って言ってて、2人は最高のカップルだったらニヤけてしまった。
でも、彼はクソ日本社会(先進国で唯一20年連続で実質賃金低下、先進国後進国合わせて幸福度下から2番目)に適用していって、パズドラ自己啓発人間になっていってしまった。
麦くんがパズドラ自己啓発人間になっていく過程は、彼一人のせいじゃない。
終わりを考えさせないように生きることに集中させないように、注意散漫にする目眩しに現代は満ちている。
麦くんの場合、ブラック労働と脳の報酬系をバックするスマホゲーにヤラレちまった。
現状維持が理想だったとしても、常に終わりを見据えながら何をするか再選択し続けてきたいと思ったです。