最近よく目に耳にするノート講座というものが、なぜ気になっていたのか

 

 

昔からダイアリーは買って満足

書いても新年を迎える前には存在が消えるというタイプだったけれど

ノートとは割と昔から縁があった。

思春期の時はよく詩を書いたり、大人になってからも感情があふれたときはバーッとノートに書くことも。

いわゆる産後クライシス期も莫大なるモヤモヤ(大抵は元夫と自分への悲痛な怒り)を綴っていた。

 

決まった日記帳などはなくその時その辺にあるノートに書くため

たまに片付けをしていて見つかったノートを開いて驚くことが度々。

うわ~~いつのかわかんないけどこの時辛かったんだなー

イタいまでは思わないまでも、見るもんじゃなかったと。

とにかくふいに見つかるノートが怖い。

コクヨも可愛い柄も、油断できない。

 

それはそうと、忘れられないノートの思い出。

私が中学生の頃、母が突然「自分の部屋を持ちたい」というので、

我が家のほぼ来客のない客間の和室が母の部屋となった。

専業主婦でパート勤めも友達と出かけることも父に嫌がられ、

おまけに地元でもない田舎で車の免許もなく、

近所付き合いも好きではないということもあり

(少なくともそう見えていただけで本当は違ったのかもしれない)

娘の私から見ても明らかに窮屈そうでつまらなそうに見えていたため、

早朝からその和室に籠り、夜家事を終えていそいそとリビングを後にする背中を

よくわからんけど良かったねという気持ちで見ていた。

 

私は私で思春期真っ只中

(今思えば去年のほうが拗らせていた気も、大人の拗らせのほうが厄介よね)

今となっては何でモヤモヤしていたか全く思い出せないけれど

その年頃なりのしんどさは当然あり、母の和室の押入れで探し物をしていたある日、

ピンクのコクヨのノートを見つけた。

 

「これからどうやって生きていったらいいんだろう」

 

びっしり書いてあった記憶はあるが、正直そこしか覚えていない。

中学生の私は

「え、大人になってもしんどいの、大人になったら楽になるんじゃないの…」

という衝撃と絶望で放心状態、ノートをもとの場所に戻し、探し物を諦めたのだった。

後に母はアルコール依存症と鬱病を発症し、素行も悪く数か月単位で家出をするように、入退院を繰り返して48歳でその生涯を終えた。

私は私でとりあえず鬱だけにはならないように、極力自由に生きていこうと心に誓い今に至る。(幸いお酒は弱く、強かったら危なかったと思う)

 

そして今私は43歳、おそらくその頃の母は同じくらいの年齢だったのではと思う。

私も娘をもつようになり、最近またノートを開くようになった。

最近少しずつ知らなかった世界に出会い、魅力的な面白い人たちと出会い、マインドを吸収している。

今日受けたノート講座もとてもわかりやすく、思考と感情と事実までもが混乱しやすい私にはとても良い内容だった。

(おまけに一緒に受講したかずちゃんさんが明らかに会社人として優秀なんだろうな~という理解力と言語化の速さで、なるほどなるほどと立ち止まることなく理解が進んだ。)

 

娘はまだ5歳なので漢字を読むことはできないが、少なくとも読めるようになる頃には、娘に見つかっても衝撃と絶望が走るようなノートにはなっていないのではないかと思う。

100個の望み出しとかは見られたらぎょっとされるかもしれないけど、今のうちからそういう人間だと匂わせておけばいいいか🌸

 

どこか母のようにはなりたくないと思って生きてきたけれど

実際同じようには生きてもいないのだけど、

時々「お忘れ物ですよ」と暗闇から手渡されるノートのように、

こびりついていた何かがようやく手放せそうだと、

最近のいろいろな出会いを通して感じている。

 

と、ノート講座の宣伝には全くなっていないけれど、しろまきさんのノート講座、

おすすめです!(語彙力無理しない)

ありがとうございました!

https://instagram.com/makiko_srym?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 

そんなご縁を導いてくれたさとくみさんにもspecial thanks💛

 

 

初めてのブログが若干仄暗い内容になってしまったけれど

これも私だから仕方ないか

素敵なきっかけをありがとうございました✨

 

 

偶然サムネとノートが同じ色💙