個人的には「世祖」より「首陽大君(スヤンテグン)』のほうがピンときます
世宗の次男
長男が王(文宗)となり その子供(端宗)が王位を継ぐと端宗派を倒して退位させ
自ら王となりました
王となってからも反対勢力を消していき 絶対的な権力を手にしますが
憲法ともいえる「経国大典」の作成や国防に力を入れたりと
王としての技量は高かったようです
もし彼が長男だったら生き方は大きく違っていたかもしれません
晩年は皮膚病に侵され 仏教に帰依していきます
これらはハングルが公布された当初の言語を知る貴重な資料でもあるようです
この展示のポスターになっている世祖の御真(肖像画)は
1735年に描かれたものを1935年に模写したもの
この模写が2016年競売に出てきたらしいのですが
一体どこから出て来たんでしょうね…
御真は戦乱で消失したものが多く 後に想像で描き直したと読んだ記憶が
この世祖はどうなのか私には分かりませんが
ちょっといい人風に描き過ぎじゃないの!? というのが正直な感想
反対勢力をバッサリと処刑していく顔はもっとギラギラと攻撃的だったのでは、.
と思えてなりません
他のブースも見学して古宮博物館を後にしました
세조는 조선의 7째 왕이다
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