とはいっても三国時代の知識はほとんどなく
例えば新羅は善徳女王や武烈王がいた黄金の国 唐と手を組み国を大きくした
高句麗は始祖の朱蒙(チュモン)や広開土王(クァンゲトテワン)
後に唐と新羅の連合軍に敗れ滅亡するが
この時一部の高句麗人が日本に逃れ 現在の埼玉県日高市に高麗郡を作った
百済は高句麗と手を組んで新羅と対抗するが 最後は新羅と手を組んだ唐に敗れ滅亡
それを知った倭国は百済を支援
最終的に白村江(はくすきのえ)の戦いとなるなど一番倭国と縁のある国
こんな程度
三国時代 三国時代後期
出処 wiki
上の図を見ても新羅が拡大するにつれて百済が小さくなっていることが分かります
そんな百済のゆかりの地 扶余を散策してみます
まずはバスターミナルから歩いて定林寺(정림사 チョンニムサ)址へ
後から分かったのですが入り口は真逆にあり 定林寺に到着しているにもかかわらず
ぐる~~っと迂回する形になってしまいました
それでもいろんな角度から見ることができてこれもアリだったかなと
ものは考えよう :*:・( ̄∀ ̄)・:*:
百済も仏教を用いました
この定林寺はその中心であり 百済王室にとっても大事な寺だったようです
現在 寺そのものはなくひっそりと立っていました
부여 정림사지 오층석탑은 백제시대에 만들어진 국보입니다
地図 コネスト
扶余関連記事
韓国旅行 韓国語ブログがたくさんあります!