なでしこ・・・・

ここまで最初に点を


悪夢のようだっただろうな、選手たち。


あーいうこともあり得るけれど、

そうじゃないだろう・・って

選手たちは思っただろう・・。

もっとやれるという思いがあっただろうな。


何かバタバタしていたな~~。

地に足が着いていない感じだった。

纏まっていなかった。させてもらえなかったのか・・。


かいほり選手辛いだろうな~~。


今はないけれど、次回ステージを変えて頑張れ。


決勝まで来たからこそこの思い、この結果がある。

この前のイギリス戦で負けていたらこの思いはない。


頑張ってきたからこそ、この思いがある。

悔しさがある。次がある。

次は、サッカーかもしれないし、

その人の人生かもしれない。




本日、京都の近所の方が亡くなったことを知った。


2011年に母が亡くなった時に、その方が、

父や母の思い出を様々に話して下さった。


父や母をとても慕ってくださっていた。


私の残っているイメージは、

京都にいた時に、その女性の方のお子さんが

私より2,3年下で、同じ小学校。

シャイな女の子で、特によく遊んだ覚えはない。

他には、その女性の方が、我が家のクリーニングを

取りに来て行ってくださっていた。


そんなことくらいしか思い出はなかったけれど、

私が東京に行っている間に、

その女性の方は、よく両親に悩みなども

相談に来られていたようだった。



その女性の家庭内のことや、様々に

私の両親は親身に相談に乗ってあげていたよ

うだった。


父が亡くなった後も、よく母のところに来られていたようだった。

両親に世話になったとお世話になっていたと。


母が亡くなって悲しいと、何度も仰っていた。

その女性は、母がいなくなりどこに行ったらよいのだろと。


母は、東京にいる私のことを嬉しそうに話していたらしい。

そんなことも話をしてくださっていた。


母が亡くなり京都に帰っている時に、家の戸が開いていると

私がいるんだと、何か持って来て下さった。


それまで、そんなに親しく話をしなかったけれど

携帯番号をお伺いし、帰るときは電話をしますねと

伝えていた。


父のことも、母のことも、信頼して下さっていた。

楽しい時のことを話して下さっていた。


私は、その女性の方から最後に頂いたのは

田舎から届いたとお且っていたお塩。


袋に入れて「少しだけれど」と、うまみのあるさらっとしたお塩。


大切に大切に使わせていただいていた。


私が京都に戻らない間に、どんどん知っている人が亡くなる。

両親がいて、小さかった自分。にぎやかだった時のイメージしかない。


何か寂しい。


人の死は、次がない。

また頑張れはない・・。



その女性の方は、きっと両親のところに話をしに行っていると思う。

「イヤー足立さん、ここにいたの。会えたね。私も来たよ」って。


夫婦喧嘩をした時も、私の両親のところに来て

話を聞いてもらって、私の自宅に泊まらせてもらったと仰るくらいだから。


雨空を仰いだ。

そのおばさんに、「おばちゃん、お父さん、おかあさんに会った?」と聞いた。

「絶対に会いに行っているよね。まだ早いか。まだだったら、よろしくって言っておいてくださいね」と。


そう思うと、悲しいけれど、笑顔になれた。

両親とその女性の方が、笑顔で話しておられるのがすぐにイメージできた。



本当は・・。


叔母さんに頼んだ父や母へのメッセージは

「父や母に、智子を守ってくれと、助けてくれと、伝えて」と。