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正しいだったり 間違ってるだったり 負だとか悪は 相対的なもの
それは時代によって大きく変わってしまうから。
おれは毎晩バーで呑んでいるけど、それが何百年前かのヨーロッパだったら、おれは何の疑いもなく罰せられることになる
かつてのヨーロッパには禁酒法があったから、酒を飲むということは広く罪だった
酒を呑むことが当たり前のように罪の時代があれば、酒を呑むことが当たり前のように娯楽である時代もある
どちらも酒を呑むという行為においては同じなのに 正と負という相対するものになることは不思議なことだと思う
マリファナだったり、ドラッグも日本ではひどく敬遠されるものだけど、海外諸国では体に悪いということからマリファナよりタバコを敬遠する地域もある
正しいか間違っているかは相対的なものであるからこそ、自分の頭で考えてほんとに何が正しいのか何が間違っているのかを考えることが大切なんじゃないかな
一夫多妻制が当たり前だったり、不倫が罪だったり、それは大多数や世の流れによって相対的に決まっていく規律に過ぎない
テレビだったり義務教育だったり、それそのものを批判すると過激派みたいに聞こえてしまうけど、
メディアや情報の発達化によって一方向的なプロパガンダが垂れ流されている時代だからこそ自分で考えて自分の気持ちを導いていくことが大事なんじゃないかな
それこそ、肩書やステータス、世の中に左右されない絶対的な自分というものを貫いていける者が その世界という中でも新しい何かを創っていくことができるのだと思う
自由とは何か 生きるとは何か ルールとは何か
なぜ人は人を殺してはいけないのか
なぜ手当たりしだいいろんな人とセックスしてはいけないのか
無駄とも思えること、一度でも考えてみたらいかがでしょう
もしかしたらこの世界に順応に適応できてるだろうな自分はって思ってる人も、もしかしたら「狂ってる」異端児に分類されるのかもしれない
たからこそ、正しい 間違ってるは 胸を張って自分の心に決めていこうじゃん
それは時代によって大きく変わってしまうから。
おれは毎晩バーで呑んでいるけど、それが何百年前かのヨーロッパだったら、おれは何の疑いもなく罰せられることになる
かつてのヨーロッパには禁酒法があったから、酒を飲むということは広く罪だった
酒を呑むことが当たり前のように罪の時代があれば、酒を呑むことが当たり前のように娯楽である時代もある
どちらも酒を呑むという行為においては同じなのに 正と負という相対するものになることは不思議なことだと思う
マリファナだったり、ドラッグも日本ではひどく敬遠されるものだけど、海外諸国では体に悪いということからマリファナよりタバコを敬遠する地域もある
正しいか間違っているかは相対的なものであるからこそ、自分の頭で考えてほんとに何が正しいのか何が間違っているのかを考えることが大切なんじゃないかな
一夫多妻制が当たり前だったり、不倫が罪だったり、それは大多数や世の流れによって相対的に決まっていく規律に過ぎない
テレビだったり義務教育だったり、それそのものを批判すると過激派みたいに聞こえてしまうけど、
メディアや情報の発達化によって一方向的なプロパガンダが垂れ流されている時代だからこそ自分で考えて自分の気持ちを導いていくことが大事なんじゃないかな
それこそ、肩書やステータス、世の中に左右されない絶対的な自分というものを貫いていける者が その世界という中でも新しい何かを創っていくことができるのだと思う
自由とは何か 生きるとは何か ルールとは何か
なぜ人は人を殺してはいけないのか
なぜ手当たりしだいいろんな人とセックスしてはいけないのか
無駄とも思えること、一度でも考えてみたらいかがでしょう
もしかしたらこの世界に順応に適応できてるだろうな自分はって思ってる人も、もしかしたら「狂ってる」異端児に分類されるのかもしれない
たからこそ、正しい 間違ってるは 胸を張って自分の心に決めていこうじゃん
