予想とは裏腹にグングン伸びる苗。

田んぼ(バケツ等)に植え換えてから一か月後には、5~10本ほど分けつをしていた。

背丈も1mくらい。

順調な伸びっぷりである。

 しかし気がかりなことが一つあった。それは連日の猛暑である。ぼけー晴れ

バケツの深さは20㎝くらいあるので、水が干上がることはそうそうない。でも発泡スチロールは深さが10㎝にも満たない薄っぺらいもの。目を離すとすぐ土にひびが入る。

そしてそれだけならまだしも、日中の暑さで張った水が熱湯と化すのだ。

 

 仕方がないので、仕事に行く日は毎朝コップで水をすくって出かけ、仕事から帰ると冷たい水を張るという作業を繰り返した。

ちなみに仕事はほぼ毎日なので、毎朝早起きをして各田んぼの水を張った。

各田んぼ。

このとき稲の数は54本。バケツ3個、発泡スチロール3個、プラスチックの箱3個、植木鉢5個に1~6本ずつ植わっていた。

連日朝から重労働である。アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ

農家って大変なんだなあと思ったりもしたが、後に本業の方はこんなバカなことはしないのだから自分よりは楽かも.…と考えを改めなおした。

 

 田んぼに植えて1か月ちょっとの8月上旬。

たくさんの茎の間にスルっと見える!!  そう稲穂らしきものが笑い泣き か、かわいいラブ

よく見ると何本も見える。

ようやく稲の完成系というものが見えて来た気がした。

しかし気を抜いてはいられない。気候には本当に振り回される。猛暑酷暑だけでは飽き足らず、台風台風まで来るというではないか。しかもスンゴイ奴が叫び

ここまで無事に育ったくれた稲たちをどうするか。身を挺して助けるか、はたまた見殺しにするか…    ( ゚д゚)ノシ サラバジャー

 思えばこの稲たちの親(籾)は2015年の台風で起こった鬼怒川決壊で全滅した田んぼの米たちではないか

 悪しき輪廻をここで断ち切らねばなるまいパンチ!

戦うムキー何があってもこの子たちを守るプンプン 

 

 気持ちを新たに、来るべく台風に備えて策を練る私であった。

(´ε`;)ウーン…

 

 

 

 

 

私は生まれも育ちも東京。
稲穂がどうやって出来上がるのかなんて知らないし、考えたこともない。

 ただ、鉄腕ダッシュだけはかなりマメに見ていた方だ。あの番組で田植えをして『男米』というダッシュ村特産の米つくりをしていたことはよく覚えている。

 たしか籾付きの米を1晩だか2晩塩水に漬けて、下に落ちたものを種籾にするんだよな。( ゜∋゜)

 結果!全部の米が沈んだため、全部を使うことに。アップ

 でもまさか芽なんて出ないだろうと、半ばなげやりな感じでお皿に米をばら撒き水をひたすこと数日。
 なんと、小さな芽が出てる
 これは大変とホームセンターへ行き、種まきポット36個蒔き用を2枚購入。
その他にも小さなポットに2~3本づつ植えて、苗は計100本ほどに。

 土に芽の出た米を差し込んでから待つこと10日。

 グングン成長

 この時点でもうすでに6月。田植えの時期からはかなりの遅れをとっている。
しかしそんな心配とは裏腹に苗は順調な成長ぶりをみせていた。
これくらい大きくなれば良かろう。15㎝ほどで葉が3~4枚になってきたことろで田植えを開始
ニコニコ

 土作りビックリマーク
黒土と赤土を2:1くらいに混ぜたものに静かに水を注ぎ、1晩放置。土と水がしっかり分かれていることを確認してから、苗を一本づつズブッと土に差し込んでい
く。

入れ物はとりあえず家にあった発泡スチロールと使わなくなったバケツに。
根が張るから深さはあったほうがいいと思ったけど、そんなものないし、どうせ枯れるだろうし。

が、この考えが甘かったことを後に思い知らされることになろうとは、この時は一つも考えていなかったのである。




  5月のある晴れた日、空を見上げてふと思った。
こんな日に東北では田植えをするんだよなぁ…。
と、そこで今度はハッとした!

そういえば米(稲穂)があったぞ!?


  去年2015年、9月。 北関東で大規模な洪水が発生した。
 茨城県では県内を流れる鬼怒川の堤防が決壊し、住宅街などに大きな被害をもたらした。
 
  濁流の中、屋根の上で救助を待つ人の腕に犬が抱えられていた映像がテレビに映し出された時には、それはそれは驚いた。

  茨城県は東京と同じ関東圏内。電車でも1時間弱で行かれる。自分の身近なところでこんな災害が起こりうるなんて、とショックだった。

 その映像を見た3日後、東日本大震災のボランティア仲間4人と茨城県常総市を訪問した。
 遊びや冷やかしではなく、仲間がボランティア団体を設立していたことから、その調査と拠点作り、社共との連携のためだった。
          2015.9
  大洪水が起こった3日後ということもあり、町中はまだ水が引き切れておらず、大きな湖の中に点々と建物が浮かんでいるように見えた。

  ようやく水がなくなった地域の家々では、窓や戸を全開にして泥だしやら家具の片づけやらにおわれている。
  外壁にはくっきりと水の跡が残されていて、場所によっては2mほどの高さがあるように見えた。
  近くにある川は、轟轟と音をたてながらものすごい勢いで流れている。水嵩も多い。まっ茶色な水の上を木やらなにやら大きな物が流れていた。

  怖い。思わず何度も口にしていた。
2015.9


  経験していないはずの震災があたかも経験してしまったかのように感じられてくるという人は、少なくないと思う。
  現にテレビで津波の様子を見ているうちに鬱っぽくなってしまった人や、津波で亡くなったおばあさんがのり移ってしまったしまったと言い張る人がいると聞いたことがある。

  あの川の濁流はまさにそれを思い出させるものだったのだ。

 それだけにここの人々の驚きはたいへんなものだったろうと、安易に想像できる。

 
   さて、とんで10月の初め。町中の水がほぼ引き切ったということで、再度常総市を訪問することとなった。
       
   決壊した鬼怒川は急ピッチで復旧作業に追われ、町中も何とか日常を取り戻しつつある様子だった。      

   しかし田んぼは泥をかぶったまま乾いた稲穂が一面に広がるばかり。おそらく被害が大きすぎて手が付けられないのだろう。

   もう収穫を待つばかりの稲穂は、たくさんの米を付けたまま押し潰されたように倒れこんでいる。どれも見事な豊作ぶりだ。
   この稲穂たちがこのまま廃棄されるのはあまりにも気の毒だ。

   白く固まった泥を付けて倒れる稲穂をそっと手に取った。そして一本だけ(落ちて来た)稲穂をスマホ入れの袋の中へしまった。

   来年の良い頃、もし覚えていたら蒔いてあげようと思って。


  

3日めビックリマーク

もはやここまでくると東北の旅ではなくなってくるのですが、気にせずに進めますにひひ

11:21村上発、羽越本線(新潟)で『しんはった』と読んでしまっていた新発田へGOグー

この辺は暖かいので、もちろん雪は無し 

でも進行方向左側には雪を頂いた山脈が連なり、それはそれは美しい光景が広がります


しばらくすると新発田ボランティアセンターという看板が目に入り「おや!?」と思ったら


11:56問題なく新発田に到着


このボラセンも中越地震の時には中継地点になったのかなぁなどと思いながら


次の電車までかなり時間があるので昼ごはんと新発田の街めぐりを兼ねて散歩

しかし駅周辺にはこれっビックリマークというものがないので近くの諏訪神社で侵入のお伺いに向かう、と、なななんと神社前の公園に不思議な物体を発見目

で、で、でごいちだ~

ヾ(°°)ノ右上矢印

さっすが新潟ですね~ 鉄道県だ~!!

さあ細かい説明は省きますよ


で、13:21羽越本線(新津行きに乗車、13:50新津着

ここでよくある問題発生


信越本線がトラブルで遅れてしまっているのです

どうしよう 到着が遅くなる~

そしてもうひとつ気になることが…電車を待っていると「ぷお~」という警笛がたまに聞こえてくるのです!!

どこかに汽車でも!? と思って探すのですが見当たらず…

どうも新津駅お・も・て・な・し・らしいです


さて14:27発が14:35(越後中里行き)という早業で解決したら

15:24長岡に着くころには遅れをクリア

乗り返せずにそのまま信越本線から上越線に名前を変え出発


徐々に、徐々に窓の外が雪景色に変わってくると、スキー場が現れます(4月なのに)

そして家の建て方に変化が∑ヾ( ̄0 ̄;ノあせる


家が高床式なのです 雪深いから1階が軽く2階ほどの高さにあるのです


東日本大震災でもボランティの移住が取りざたされましたが、こちら新潟でも中越地震で来たボランティアの受け入れを行ったそうです、が、雪が色々問題になるらしく、なかなか永住には至らないのが現状だそうです


16:37石打駅到着 今夜は丸山温泉温泉に宿泊です


まさか東北で津波騒ぎが起こっているなんてこの時は知らずに…(-"-;A汗


旅2日めチョキ


朝ごはんも早々に横手駅9:24発・奥羽本線(新庄行き)に乗ります。


新庄までの道のりは昨日と変わらず雪景色。


途中の駅名 「及位」(のぞき)にのけぞったり、無邪気に列車に手を振る子どもを窓外に眺めながら南下して行きます。

10:48新庄着 

新庄駅は観光本にも書いてある通り、階段などの段差のないフラットな駅。全線の発着が一望できるので助かります。


新庄駅11:15発・陸羽西線(酒田行き)に乗車。さすがにもう雪はありません。山形は暖かいのですかね\(゜□゜)/

進行方向右手に最上川と並走しながら酒田方面へ。


12:02余目駅(羽越本線)乗り換えをします。


次の村上行きまで1時間もあるので、余目で下車してお昼ごはんでも・・・ と思っていたのですが、改札の向こうが淋しい・・・

案の定

「見ての通り、何もありません。鶴岡の方がいいですよ」

と駅員さんに言われ、13:08発(村上行き)を待たずして鶴岡行きの列車に飛び乗ることに(^_^;)


そして鶴岡でお昼を食べたら当初乗るはずだった【村上行き】に乗車、一路未踏の地、村上へ向かいます。


ここからの羽越本線三瀬駅辺りから海岸線を走る絶景路線。


ずいぶん昔に乗った函館本線を思い出します。そしてかつての気仙沼線とはこういう感じであったのかと思い、胸に熱い物がこみあげてきました。


というのも・・・

今回列車に乗っていて、すごく驚いたことがあったんです。


それは走る列車乗る列車の線路わきに、ある決まった光景を見ることが非常に多かったということ。


手を振る子どもとその隣に赤ちゃんを抱いたお母さん。ヒヨコおとめ座ヒヨコ


手を振る子どもとにこやかにそれを見守るおじいちゃん、おばあちゃん。ヒヨコクマパンダ


手を振る子どもと一緒になって笑顔で列車を見送るお父さん。ヒヨコおうし座


手を振る子ども。手を振る子ども・・・。ヒヨコヒヨコヒヨコ


かつて自分も幼かった頃に、父や母に抱っこをされて田園都市線(現・東横線)に手を振っていた事を思い出しました。


あれから数十年経ち父母も私もかなり歳をとってしまいました。


あんなに楽しくて平和だった日々はもう来ないんだなぁという思いと、今まで滞在していた南三陸町の街を思い出し、列車の中で柄にもなく泣いてしまいましたよ。


そりゃもう号泣ですよ。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


そんな様々な思いをし、美しい日本海をながめているうちに15:03村上駅に到着


駅の外にはソチオリンピックのスノーボード銀メダリスト、平野歩夢君のおめでとうポスターがあちこちにあります。

聞けばなんとここ村上が出身地なんだとかビックリマークアップ

いやはや勉強不足でしたあせる


そして日本海に落ちる夕日を湯船温泉で見届け、引き続き笑っていいともフィナーレテレビを見届けるのでありました。


明日も旅を続けていいかな!?  いいとも~~!!パー






 東北の電車はよく止まる 雪、雨、地震・・・ 雪雨とかげ


                    ※これはおまけ:石巻線まんが列車



前日から激しい雨風に見舞われていたのですが、TVでは何も言っていなかったので、一抹の不安を覚えながらも予定通り柳津駅へ行ってみました 




が、駅に着いた途端、停車中のBRTの運転手さんから一言


「電車動いてないよ」 (°Д°;≡°Д°)な、何!?




前谷地で足止めを食らっているとのこと




仕方が無いので急きょ予定変更(`´) 




BRTで気仙沼まで引き返して大船渡線に乗り、一関から東北本線に乗ることにしたのですあせる




しか~し柳津から気仙沼までは・・・遠い・・・結局1時間半かかって12:19発、一関行きの大船渡線乗ることになりました




大船渡線は美しい谷川など山林の中をひた走るライン しばし車窓からの眺めを楽しもうと先頭席を確保!!(*゜ノノ゛☆ やった~音譜




がしかし孫連れのおじいさんが運転手わきのフロントを陣取り、初春の絶景独り占め作戦は敢え無くダウン (それは無いよ~じいさん~)(0)


                  非観にくれていると神様がやってきた!!




                  ああドキドキポケモンだぁニコニコ ゆけむりライン






「ポケモンはいつもキミといっしょ」という暖かい言葉と、暖かい陽光に眠気を誘われながらも、約一時間半後の13:41一関




北上行きの東北本線にはまだ時間があるので、一関で途中下車走る人でも見るところな~い叫びちょっと寒~い




                       一関のマンホール




14:43北上へ~ 


15:24北上


ここでも見る物がなさそうなので、さっさと車内北上線)





16:23北上


そしてここから驚きの景色がビックリマーク北上を出てしばらく、おそらく3駅目くらいからだったと思います。何やら外の景観が変わってきたのです。


それまでは暖かい東北を満喫していたのに、突然辺りが雪景色にビックリマーク





しかもかなり雪深い(゚Ω゚;)   山を一つ越えただけでこんなに気候が変わるんですね~


日本ってステキラブラブ


途中駅名の「和賀仙人」にうけたり(だって若いのに仙人って)、しばし窓外の景色に圧倒されているうちに17:49無事秋田県の横手駅へ到着~電車




個人的に秋田を訪れるのは20数年ぶり(きゃー四半世紀)


ただただひたすら電車に乗り続ける旅の一日目はこれで終了です




9時に出発してから、なんやかやありながらの約時間の旅でした。




本来ならば・・・


9:40―10:00 柳津―前谷地:気仙沼線


10:01―10:16 前谷地―小牛田:石巻線


10:44―11:31 小牛田―一関:東北本線


11:35―12:17 一関―北上:東北本線


13:40―14:55  北上―横手:北上線




という行程のはずだったのにイショック!




んんん~今回も天候に翻弄された旅でした  明日こそは・・・と思いながら、温泉温泉でゆっくり旅の疲れを癒したのでした~σ(^_^;)






11人の漫画家が描き下ろす東日本大震災の被災者を取材した短編漫画集

(ひうらさとる・上田倫子・うめ・おかざき真里・岡本慶子・さちみりほ・新條まゆ・末次由紀・ななじ眺・東村アキコ・樋口橘)


    ― ストーリー311  講談社 ―


それぞれの漫画家が南三陸町、石巻、大槌町、陸前高田、福島を訪れるなどして、その地で起きたことや体験談をわかりやすく漫画にしています。


東京から物資を運ぶために北へ向かった男性は、避難所で連絡の取れない人たちから親戚への連絡を頼まれます。


電話の向こうで安堵する声。


何本もの電話をするうちに、彼は昔自分が経験したまったく逆のことだということを思いだします。


真夜中にかかってきた一本の電話。兄が交通事故で死んだという知らせでした。同じ電話だけれども、今自分がしているのは死ではなく生を知らせる喜びの電話。

被災地を走行中に見た泥棒たち。悲しみにくれる人々の姿。


その時彼は思うのです。自分は今試されているのだと・・・。


そして11人の漫画家も取材をしながら考えます。 

 【何かしたいと思う気持ちはおこがましいんだろうか】

 【傷つく人はいないか】      

 【間違いはないか】

 【専門家ではない私たちが漫画にしていいんだろうか】


その悩みこそが 試されている ということなのではないでしょうか!?


やってやっているわけではなく、知ること伝えることが大切だと思ったからしている。

この本の印税・著作権料全額と利益は寄付するそうです。


全て10ページほどの短い短いお話なので、若干物足りなさはあるかもしれませんが、その短い中でいかに大切なことを伝えるべきなのかと悩みながら画いていった漫画家たちの苦悩も窺がわれ、それが一層共感を呼びます。

あなたは何を試されていますか?



<本日の歌子>

歌子が2歳の誕生日を迎えましたヾ(°°)ノクラッカー

この時期になるとつくずく命の尊さ等を考えさせられます。南三陸の皆さんボランティアのみんな、本当にありがとうございます

歌子は今日も元気いっぱい生きていますロケット

漫画家の山本おさむさんの仕事場は埼玉です。


そこでがむしゃらに仕事をこなすと、愛妻のけいこさんや愛犬コタのいる福島へ行き、温泉やきれいな空気を吸ってリフレッシュする。

山本さんはそんな夢合格のような生活をしている人でした。


ところが2011年3月11日。東日本大震災が起き、生活が一変してしまうのです。


―「今日もいい天気」原発事故編  双葉社出版



この本(漫画です)は、経験した人にしかわからない状況や、その後の苦悩が画と文によって書かれているのでとても理解しやすく、小難しいのはダメっあせると言う人にはもってこいの決定版だと思いますビックリマーク


山本さん自身は埼玉にいる時に地震にあい、福島のマイホームに残してきたけいこさんと連絡が取れずにいました。やっと電話が繋がった時には原発事故後。外に出るなという山本さんに対し、コタの散歩があるからと危機感のない住民の様子も描かれています。

しかし山本さんの福島を脱出しろという言葉に押され埼玉の仕事場へコタと共に避難。




家を借り生活するようになるのですが、徐々に現れる被ばく(!?)の症状。


けいこさん女の子の口内炎。鼻血を出し声が出なくなるコタ。わんわん


ネットで低線量被ばく・チェルノブイリ関係を検索した山本さんが目にしたのは粘膜・声帯の炎症という文字。


コタは外に小屋があったので雨どいから流れ落ちる水を飲んでいただろうし、人間よりも低い位置、線量の高い草むらのすぐ横で一カ月近く過ごしていた。もしやコタは…


散歩にはしゃぐコタを見つめ

〖ごめんな…俺、お前を被ばくさせちゃったよ】  と嘆く山本さん。




その後、マイホーム除染のため家の廻りの木にお神酒をかけ切ることにするのですが、昔から植えられている神が宿ると言われている木を切ることに罪悪感を覚える家人。

〖東電、あんたらは神様よりえらいのか】  

家の木を全て失ってしまい、神様から見放されたようだと落胆します。


愛するマイホーム。ここが終の棲家とやってきた所です。

そこが以前とは違う状況で暮らすことになる恐怖と悲しみ。

もし、自分の住む地域が突然居住困難地域に指定されたら、あなたはどうしますか?


見慣れた山々。愛犬コタと散歩する道。

事故があっても空は変わらず。

天栄村は今日もいい天気!晴れ




 オリンピックが日本にやってくる!!柔道そんなニュースが世間に流れた日、我が家の庭の木に、セミの抜け殻を見つけました


以前はいくつもくっ付いていたのに、最近は猛暑のせいか見かけなくなっていた抜け殻(・・;)

歌子の夢へ、いらっしゃい!    ―  Welcome to the Utachan's World― 

異常気象のせい!?

最近、地震もそうですが、日本が住みづらくなってきているような気がします


風光明美な海辺に住めば津波の恐れ、避暑地にと山へ住めば土砂災害、やっぱり平地が安心と住めば竜巻に、そんなのどうでもいいと山あり海あり、自然いっぱいで人の少ない地域に住めば原発の誘が・・・


ところで9月1日は「関東大震災から90年」の日でしたので、様々な特番がTVでやっていました


そんな中、ある人が言っていました  「沈黙をしてはいけないシラー


沈黙しないこと⇒次の世代へ引き継ぐことリサイクル


震災の話をドンドンすべきだということです




ただ、こんな話を聞きました


ある団体が被災地の悲惨な写真を九州の津波被害が起こりうる地域に持って行った時、その地に住む人たちの反応は非常に乏しかったそうです



何故なのか?彼らは自分たちの住む地も危険なことは承知しているのですが、写真をみただけでは他人事にしか思えなかったのです


しかしボランティアさんが丁寧に説明をした結果「これは自分たちにも起こるかもしれないことなんだ」と感じ、初めて事の重大さに気付いたと言います


つまり、一生懸命忘れないでビックリマークと呼び掛けたところで、被害を受けていない人たちにとっては他人ごとなのだから風化は避けられないということなのです

歌子の夢へ、いらっしゃい!    ―  Welcome to the Utachan's World― 

そこでぜひ、ボランティアに行ったことのある人は「まだ被災地行ってるの?」「私には関係ない」という心ない言葉に惑わされずに、自分の見たこと経験したことを、知らない人たちに話してほしいと思います


それは沈黙を破ることであり、次世代を守る行為です


単に地震は怖い、こんなに悲惨ですと恐怖をあおる言葉を発するのではなく、人々の心にいかに残り一緒に考えることができるか・・・を考えつつ


おだづもっこはそのためのものです

歌子の夢へ、いらっしゃい!    ―  Welcome to the Utachan's World― 
今回の仙台で、少しでもそれが伝えられたのなら嬉しく思います

わざわざ遠くから見に来て下さった方々、バリバリの宮城弁で名演技をした俳優さんたち、本当にありがとうございます!!


皆さんとともにこれからも、自分の身になって考えられる心作りに励みたいと思います


風化は忘れ去られること  そして当たり前のこととなって認められることでもある 

群馬大学の防災研究者、片田敏孝教授はそうおっしゃっています


7年後のオリンピックには素晴らしい日本になっているように、そして今年赤ちゃんのセミがその時無事に会えますように・・・心から願うばかりです

歌子の夢へ、いらっしゃい!    ―  Welcome to the Utachan's World― 

いつも心に花束をブーケ1














 さあ3日目ヾ(°°)ノ  野馬追い締めくくりは南相馬市小高区の小高神社で行われる野馬懸(のまかけ)です


 1,2日目のお行列や競馬、神旗争奪戦ほど知られていない野馬懸は、神社でひっそり行うもの得意げ


誰も内容を知らない ま、わからなきゃ行ってみりゃいい ってことで…


小高神社は小高い山の上に鎮座しています (だから小高神社かな!?


行き方としては階段と緩やかな坂道の2通り



坂道は馬が駆けあがってくるということで、その瞬間をカメラに捕らえようとすでに大勢のプロアマカメラマンが並んでいました 


その奥には竹で囲いをしたひろばがあります


神旗争奪戦の時のように、まず相馬流山節で地元の方々が踊りを披露した後、いよいよ野馬懸の始まり


坂道の下には美しい白い神馬がやや興奮気味に、駆け上がるきっかけを待っています


しかし坂上、坂途中、坂下と3日間見慣れた武者達が連絡を取り合い(ケイタイで)、今だまだだと言いあっていてなかなかはじまりません


後で聞いたのですが、ひろばに塩を蒔きお清めをしたり祝詞をあげたりしていたために遅くなったのだそうですあせる


そして法螺貝のぷお~という音が山の上と下で連携して鳴ります

「1回目」

高らかに声があがると、坂の下から神馬がパカラパカラと勢いよく駆けあがってくる!!  



ということはなくあせる

やる気なさそうにだらだら散歩をしているみたいに上がってきます

それだかでなく下へ戻ってしまったり(><;)



「前は田んぼに入っていったよ」と近くにいたおじさんがぽつり


そう、目の前の緑の空き地はかつて田んぼだったのです
なにか感慨深い物があります


福島は作付禁止なので、何処へ行っても緑の草原がひろがっているのです


さて神馬3頭が囲いに入ると、今度は御小人と呼ばれる人たちが素手で馬を捕まえて神社に奉納するという神事が行われます



そう、ここではスペインの牛追い祭闘牛が一度に楽しめるのです(殺しませんが馬ですし)


逃げ惑う馬を追う御小人さんたち


危険といえば危険なはずなのですが、なぜかひっ迫した雰囲気が一つもない


観客もなんだか楽しそう


そして捕まえた馬たちは一度神社へ奉納した後昔のやり方に倣って、御小人さんたちなどが集まり競りをして自分の馬にします


その金額約一頭が80万両¥


競り落とした(役の)人は誇らしげに馬を連れて去ります

この野馬追いは一つ一つに筋書きがあって、セリフもある


3日間アトラクションの中にいるみたいでした

全部ひっくるめて一つのエンターテイメントなんですね!!


さすが戦国自衛隊の町!!恐れ入りました(´∀`)