ApaKabar 小島智恵のブログ

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5月2日です。
この時期は清々しい空気感(花粉症の気があるので感)と澄んだ青空、そして嫌ーな紫外線。。。

と、こんな感じで春、というか初夏を感じてます



22年前のその日の夜から、毎年5月2日の青空を見ては感慨深いものがありました
今年はまた違った意味で少し晴れた空が切なさがあります



去年末、待望の第2子が産まれました
その子が産まれる約1カ月前、大切な親友が旅立ちました
彼女はいつも人に自然と気遣える笑顔の似合う優しい人でした
2年半闘病していて、途中これ治るんじゃないかな?絶対大丈夫!!って思ってた時もあったし、そう自分に言い聞かせていたところもあって

でも最期はあっという間でした
心のどこかでは覚悟していたものの、いざ現実となると受け入れられません

これから先のこと、途中からお互いが気付いてたと今では思う
落ち着いたら旅行行こうね
退院したらあのカフェに行こうね
お互いおばあちゃんになってもライブいこうね
って、約束という名の願望になってたけど、もっともっと細かい日常を約束していて
彼女が生きるって、強く願って
あの時は大変やったねって言おうって


でもそれらの約束が全て叶うことは、もうありません
辛い、哀しい、悔しい、切ない
どれもしっくりくる言葉がないくらい苦しい


私が大病を患った時、親友はたくさん助けてくれた
なのに私はいったい彼女に何ができたのだろうか

ずっと不安だったけど、そんな思いを彼女には知られたくなかった。本人が1番不安だから。なんで私が?って気持ちが分かってたから、彼女の前では強がってた。でも怖かった

彼女が危篤に陥ってからというもの、しばらく頭が働きませんでした
あまり記憶がありません
でも不思議なもので4歳の長女は親友が旅立ったことを、子供なりに分かっていたようでした
4歳って思っていたよりしっかりしています
彼女のおかげで救われていたところもあります

そして12月、次女が産まれました

お葬式で臨月間近な私を心配してくださってた親友のお姉さんに出産の報告したところ、なんと産まれた日が親友のお姉さんのお誕生日と同じでした

2月頃、親友宅に会いにお邪魔して、ご両親とたくさん親友の話をしました

そして親友のお父さんに次女の名前を伝えたところ「その子もりっちゃんやな!」と言われました

全く気付かなかった私は凄く驚きました
いつ頃からか私は親友をファーストネームで呼んでいたので気付かなくて、苗字に「り」がある親友のニックネームを忘れていたのです

次女の誕生を楽しみにしてくれてた親友
まさかのお姉さんと同じ誕生日で、名前は違えど同じ「り」がつくこととは全く気付かず
偶然なのか必然なのか
次女のおかげで一生親友を忘れることがないと思いました
彼女との繋がりがまた生まれたようでした


今でも思い出しては涙が出ますが、少しずつ、最期の辛そうな姿ではなく、まだ元気な時のよく通る声で明るく話す姿と、つられて笑いたくなる笑顔を思い出せることが増えてきました


そしてそんな思いの中、私の尊敬する人が、
その悲しさを忘れ去ろうとなんて思わなくていい。と言ってくれました
でも私が悲しんでいる姿を見て、それを悲しむ人がいることも忘れないようにと

ずっと頭や心の片隅に黒いモヤがかかっていたのが少しだけ晴れてきました




私は思う、
血の繋がらない人の中で1番大切な人
生きていて、そうみんながそんな人に出会えることなんてこと滅多にないけど、私は出会えた
もう姿形はそこにいないけど、私が忘れることはない
娘たちのおかげでここに居られる
この子たちの成長と共に生きて、親友に会いたくて寂しくて泣いてしまったとしても
彼女との時間はとても大切な時間と気付けたから
少しずつ彼女の笑顔を思い出すことが増えてきた

まだ寂しい
たぶんずっと寂しい

亡くなったのは秋だけど
彼女は春のような人
だから不思議と毎年きれいな青空のこの日の
思い出すあの人の音楽に親友への想いを重ねて


また春に会いましょう




今、不自由を強いられていても、
生きていること、健康であること、大切な人がいること、仕事ができること、食べるものがあること、、、もっと他にもたくさん。

当たり前の日常が小さな幸せの積み重ねで、それらが絶対ではない、かけがいの無いものと、それぞれがそれぞれに実感する時期なのかもしれません。